TENSEI塵語

2004年11月24日(水) 韓ドラ

最近、時間が空いたら見ているのが「愛の群像」である。
人の話をろくろく聞かず、怒ったり罵倒したりする人物がやたらと多い。
これが韓国の貧しい庶民の自然なありようなのだろうか、、?
何でこんな時にこんなことが言えるのか、こんな態度に出られるのか、と、
見るに耐えない、聞くに耐えないような場面も少なくない。
シニョンの両親の不和に関する場面でも、夫のビョングクの言い分が、
男の私から見ても身勝手すぎるように思われる。
これらが現実に即しているのか、作られ過ぎた不自然なのかはわからない。

けれども、主役のジェホと、ヒョンス、シニョン、ギルシンの4人の物語に
関する限りは、たいへんおもしろい。
とりわけ、ヒョンス役のユン・ソナが驚くべき魅力的な俳優だ。
日本のバラエティ番組などで何度か見たが、
てっきり、韓国ではまったく相手にされなくて、
日本でつまらん仕事をさせられているだけのタレントなのかなと思っていた。
私はこのドラマでの、憂いの眼差しにすっかりやられてしまった。
こうなると、ヒョンス以上にシニョンを求めるジェホが不可解になって、
違和感を伴わずには見ていられなくなるが、どう展開するかが楽しみである。

土曜日の深夜には「美しき日々」を見ている。
なかなかおもしろ〜〜いと言うほどにはなってくれないが、
昨日、次回予告編というのをたまたま見て、ついに来たか!と楽しくなった。
「Zero の正体は?」というのだったが、ん、、、? と気に留め、
さてはこういうことか! と思い当たって、俄然楽しみになった。

日本のTVドラマは、概して性急な展開、性急なおもしろさを狙う。
韓国のTVドラマは、そこを急がない、概して悠長な展開である。
冬ソナ関係の本で、韓国のドラマは、60〜70分をCMを挟まず
一気に放映し、1週あたり2日連続で放映すると書いてあった。
そうだとしたら、15分刻みで視聴者を逃すまいと躍起にならざるを得ない
日本のドラマの作り方との違いが明らかになる。
「冬ソナ」も最初かなり悠長なドラマだと思ったが、その後見たいくつかの
韓国ドラマと比べれば、かなりテンポの速いドラマと言える。

アホな評論家は〈純愛〉という観念で韓ドラブームを分析し、
いろいろな論評を展開しているが、どれも何か遊離した論に思われる。
大体において、日本の最近のドラマでも、
〈純愛〉でないドラマをどれだけ見つけることができるのか?
韓ドラの恋愛は、すべて冬ソナ風の〈純愛〉なのか?
評論家の言い方は、韓ドラは、日本の最近のドラマには見られない〈純愛〉
を描いている、という点から出発することが多いが、皮相な見方である。
実際に見てもいないし、ドラマの世界に浸ってもいないから、
ただ観念的・類型的にそう決めつけてしまえるにちがいない。

韓ドラブームについて言えることは、「冬ソナ」をきっかけにして、
日本人の多くが韓国のドラマにもいいドラマがあることを知ったということだ。
その「冬ソナ」のきっかけというのが、
ミニョン役のヨンくんの衝撃でもあっただろうし(9/8記 参照)、
死んだはずの恋人との思いがけぬ再会の衝撃でもあっただろうし、
チェ・ジウさまの名演技でもあっただろう。
それらは、世のおばさんたちのヨン様フィーバーや韓ドラフィーバーを
生み出してしまったけれど、他国に向けての新現象であるだけで、
その実質は、杉さまやマツケンめあてに演芸場に走るのと変わりはない。
韓ドラブームの底にある〈純愛〉志向の深層心理なるものは、
無責任で格好付けな評論家のでっち上げに過ぎない。


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