TENSEI塵語

2004年11月18日(木) 授業評価・学校評価

6月24日に、授業評価アンケートなるものに徹底批判したのだが、
きょうの職員会議で、2学期もそれをやってくれという提案があった。
教科主任会議で、質問項目について審議し、いろいろな意見が出たけれど、
〈変化〉を見るために、不備ではあっても項目は同じにしたい、と言う。
(じゃぁ、何で会議を開いて項目審議するんだぃ??)

さらに言うには、前回、6割くらいしか実施してもらえなかったので、
今回はほぼ全員お願いしたい、名票を置いておくので、チェックして欲しい
とまで言う。
けれども、今回は黙っていた。
名票が置かれたら、「くだらないからやらない」と書いておいてあげよう。
もちろん、1学期も協力していない。
質問項目があまりにもアホらしいと批判した時に、
担当者自身も質問項目の欠点を確かに認めながら
もう時間がないからと見切り発車しておいて、
今回も同じ項目でアンケートを取らねばならぬ腹の内は明らかだ。
彼らには、授業改善などといった目標はない。
ただ、数値結果を出したいだけだ。
こういうのが何%いてこういうのが何%いて、、、そういう整理さえすれば
大仕事をなしえたような満足感に浸れるのだ。

きょう改めて知らされたことだが、これは、本校が3年間指定を受けて
〈研究〉してきたという、学校評価制度研究の一環なのだという。
それにしては、何と杜撰な間に合わせ的なアンケートなのだろう。
分会長の発言の中にあった言葉が、いっそうぞっとさせる。
他校ではすでに、このアンケートを〈模範〉にしているところがあるそうだ。
あぁ、何という恥ずかしい話ではないか。。。

そういえば、今年の4月に昨年度の学校評価結果が、
ちゃんと印刷屋で製本された冊子になって配布された。
県下の各校にも配布されたようである。
それを見て、私は赤面しそうだった。
中にあるのは、結果の羅列だけで、考察も何もない!
考察も総括もない、単なるアンケート結果など、何の意味があるだろう?
こんなのを大いばりで県下に配布する神経が知れない。
こんなだから、あの授業評価アンケートも、
全員が実施する価値があるなどと思いこむことができるわけだ。
ただ、何らかの数値結果さえ出ればうれしい、というそれだけのことなのだ。

こんなのが、全県的、、いや、全国的に広まろうとしているわけだ。
学校全体の数値結果を基に、数値目標を掲げた教育目標を掲げる。
そうして反省して得た数値結果を基に、さらなる目標を掲げる。
それは、確かに学校全体の教育目標としては具体的である。
けれどもそれは、「全体的目標としては具体的」なだけであって、
個人のさまざまな事情は捨象される。
教育の本来の対象は、あくまでも個々の生徒であって、学校全体ではない。


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