映画「太陽がいっぱい」を見た。 3回目か4回目だが、結末を知ってて見ても、あのラストはすばらしい。 ハラハラドキドキの完全犯罪を何とかやりとげて、 望んでいたものを手に入れたトムが、太陽の光を浴びながら、 「Le meilleur(最高だ)」と何度も心から呟いて噛みしめているときに、 彼のまったく知らないところで、思わぬところから殺人死体が見つかる。 トムが幸福を噛みしめている店へ警察がやってくる。 名を呼ばれたトムは、幸福の夢から覚まされて訝しげだが、 「電話よ」という店員の声に笑みを返して歩いて行く、、、それで終わり。
〈引き際が肝心〉ということをそのまま実現したようなラストである。 これよりももっとみごとなのが、「クレイマー&クレイマー」だ。 あまりの上手さに、映画館でしばらく立ち上がれなかったラストだ。 引き際の上手い作品は、かえって多くを語るものである。
これらは、みごとなラストであっても、物語の流れから自然なラストである。 不自然に意表をついた、それでいて忘れられないラストというものもある。 実に衝撃的である。 このラストいいな、といろんな映画を見て感心するたびに、 まず関連して思い出すのが、「蒲田行進曲」である。 しかし、これについても詳述するのは控えておこう。
もうおそらく見ることができそうにない作品で、 衝撃のラストが忘れられないのが、「近松心中物語」という舞台演劇である。 蜷川幸雄演出の、実に湿っぽい物語だった(湿っぽいのはあたりまえだ)。 女だけが死に、男の方(平幹二郎がやっていた)がそれを延々と嘆いている。 心中前の逃避行からそこまでがやたらと長くてイヤになってしまったものだ。 舞台全体が暗転状態で2人にスポットがあたり、それから1人だけにあたり、 それだけで舞台を進行させて行くその大胆さに呆れてしまった。 その間のセリフも、心中ものの陳腐なセリフが延々と続くし、、、 もういい加減終わりにしたらどうやねん?!! と文句言いたくなったが、 ラストに至って、そういう不満は全部吹っ飛んでしまった。 主人公がさんざん嘆いた末、ひとり歩き出したとたん、 暗転の舞台がパッと明るくなり、人々の行き交うにぎやかな遊興街。。。 主人公は人々の間をとぼとぼと歩いて行き、、、やがて、幕。 あの衝撃は、10何年か経った今でも忘れることができない。 暗転の舞台で、スポットライトに照らされて1人で芝居をしていた時より、 いっそう孤独感をつのらせて終わるという、みごとな演出であった。
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