TENSEI塵語

2004年10月27日(水) 周年行事

明日は現任校の30周年記念式典で、運営する教員たちはピリピリしている。
客を呼んだからみっともないことはできん、とばかりに、
服装指導、校歌指導、そしてきょうの予行練習と、たいへんである。
私には、こんなことにつきあわされる生徒が気の毒に思われる。

近年では、公立高校も10年ごとに記念行事を行うのが常識のようだ。
軽薄な風潮に感じられてならない。
任意に結成した団体なら、維持あるいは発展した成果を、
10年ごとの節目に祝う気持ちもよくわかる。
公立高校なんてものは、教育委員会の管理の下に存在しているところに、
職員も生徒も入れ替わり立ち替わりノルマを果たしているだけのことである。
そう大した意義は見出せそうにない。

創立80年とか100年とかになれば、歴史の重みも加わって、
過去を振り返ってみる意義もあるだろう。
前任校で90周年の記念誌を担当したが、まだ着物を着た女学校時代から
始まっているので、歴史的変化を辿る興味が尽きなかった。
けれども、100周年の際に当然やるべきことを、
何も90周年でやる必要はないだろうと、最初から主張もしたし、
渋々やり始めて興味を持ってからも、釈然としない思いは続いた。
70周年の際に記念誌が作られていて、その後20年なんてものは、
それまでに比べて特筆すべきものがほとんど見出せないので困った。
だいたいにおいて、ここ2、30年の学校教育の歩みなど、
退化したか歪曲されたかの歴史であって、いい材料に恵まれないものである。

私には、こういう行事の年に在籍してしまい、つきあわされる生徒たちに
とっては、とんでもない災難なのではないかと思ってしまう。
私自身、儀式というものが嫌いなせいでもある。
運営の中心にいる教員たちは、厳粛な儀式の実現に躍起になっている。
生徒たちに、10年に1度の幸運という幻想を植えつけようとする。
幸運なのかもしれないし、災難なのかもしれない。
どちらに思うかは、生徒の性格によるだろう。
来賓として出席される外部の方々に、君たちのがんばる姿をみせてほしい、
などと、盛んに訴えたりしている。
大半の生徒が実は日ごろちっともがんばってなどいないのに。。。

白々しさばかりが支配する周年行事なのだが、
おとなしく主体性のない生徒たちは、明日はしっかり協力してくれるだろう。


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