TENSEI塵語

2004年10月11日(月) 可能性の発掘

妻がNHKの音楽コンクールの合唱の部を、小学校から高校の部まで、
岐阜県大会から全国大会まで、放映のたびに見ているので、
私も時々覗いたり、音だけは聞いたりしていた。
ある時など、ベッドで横になっていたら、ちょうどその場所は
TVの裏側なものだから、ずっと音だけは合唱コンクールを聞いてるわけで、
ある中学校の歌声に驚いてベッドから出て画面を確かめに行って、
やはり中学生だというので改めて驚いて、
後で聞くと、その中学校が上位大会に進んだということだった。
女声は驚くべきだったけれど、残念ながら男声はまとまってなかったので、
その後どうなったかは知らない。
そんな風に、時折聞いては批評していたのだった。

我々が高校生だったころは、合唱部もあちこちで盛んだったように思う。
大学のグリークラブも、学食で自然と歌い始めたりして、
それが何の違和感もなく、受け入れられていたように思う。
残念ながら私は、グリーの連中の陶酔的なムードがあまり好きではなかった
けれど、歌の輪が広がるということには違和感を覚えなかったのである。
私は歌うことにははなはだ自信がないけれど、中学時代まで、
そういう機会があるごとに熱心に合唱に参加していたし、
そうしてできる感動も味わっていた。

2、30年の間に、明らかに合唱は廃れた。
存続している合唱部も激減し、存続していても10人にも満たない部員で
細々と活動しているところがほとんどだろう。
この大会でも、高校の岐阜県大会を見ても、出ていたのは2校だけである。
女声合唱と混声合唱の一騎打ちである。
コンクールになっていないではないか。

そんな中で、改めて驚かされるのは、男子の歌う姿である。
多くの合唱部が、女子はわりと集まるのに、男子が集まらない。
女声合唱というのはいくつかあるけれど、男声合唱というのはない。
混声合唱の中に、割合としては少なめの男子がいる程度である。
学校によっては、部員は女子だけで、男子は運動部からかき集めて
出ている学校もある。
それだけ、男子からは合唱というものが敬遠されがちなのだろうが、
現に歌っている男子諸君は、決してそんな印象を与えない。
表情を見ても、しっかりとその合唱の世界に入り込んで歌っている。
日ごろ見ている男子生徒たちとはまったく異星の生き物のように、
昔見たグリーの連中と同じ世界で歌っている。

それは、そこまで引き出せる指導者がたまたまその学校にいたからだ。
その先生が他校にいたら、彼らは合唱の良さも知らず卒業し、
他校の何人かの生徒たちが、合唱の良さを満喫して卒業したことだろう。
それは、運・不運ですませるしかない問題なのだろうか?
確かに、よりよき指導者に当たるかどうかは運・不運ですませるしかない。
けれども、教育機関の人事は、しっかり配慮してほしいものである。
若者の可能性を掘り起こせるような人事をしてほしいものである。
そんな難題を要求したくなるほどに、
何校かの男子たちの歌う姿に驚愕したのだった。
あんな風に育てることも可能な反面、
あんな風に育つ可能性を持っている子が育たずに終わってしまうという悲劇。
それは、さまざまな分野に言えることなのだ。


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