昨日の妨害犯は、自国の選手を勝たせたい類のものではなかったようだ。 競技妨害の前科2犯だそうである。 F1とウィンブルドンで、競技場に飛び込んだ前科があるという。 元司祭で、宗教上の信念を理由として主張しているらしいが、 私には何のことかさっぱり理解できない。 単なるきちがいとしか思われない。
妨害されなかったら金メダルを取れた、とは思わない。 取れたかも知れないけれど、最後のバルディーニの走りを見ていると、 妨害されなくても追い越されたかも知れないと思う。 それは、あのまま走っていなければわからないことだ。 妨害したために金メダルが取れなかった、銅メダルになった、と言って 怒っているのではなく、 きちんと勝負させるのを邪魔したので怒っているのだ。 ブラジル政府を除けば、世界のほとんどの人が同じ思いだろう。
大会に臨む選手の勝負の時間は、スタートからゴールまでではない。 それまでの何日間、何週間のコンディションの調整が勝負なのだ。 そして、万全のコンディションで望んだはずであっても、 スタート後の駆け引きの中で、発揮されたりされなかったりするものだ。 それはどんなスポーツにも、、、いや、吹奏楽だって同じである。 そして、おそらく昨日のデリマ選手は、 あの悪夢の35キロ地点あたりまで、この上なくうまく行っていた。 優勝候補でさえリタイアしかねないようなコースで、実にいい展開だった。 こういうことはそうあることではない。 それでも最終的に抜かれてしまって優勝を逃したとしても、 それは実力の勝負として納得することができるだろう。 けれども彼はそれをさせてもらえなかった。 勝負とは何の利害もない理不尽な妨害によって。。。
私は昨夜、デリマ選手がゴール後泣くだろうと思っていた。 悔しくて悔しくてしょうがないのだろうと思っていた。 けれども、彼は、3位でスタジアム入りしたときに、両手を上げた。 それからゴールまで、投げキッスをしたり蛇行したりしながら、 メダルを取れた喜びを発散させながらゴールした。 なぜこんな心境になれるのだろうと驚きつつ、感動した。 オリンピックのマラソンとして、ブラジル初のメダルだからかも知れない。 金メダルしか眼中にない選手だったら、泣いて講義したかも知れない。 しかし、ほんとうにそれだけだろうか? 普通だったら、どんな背景があれ、悔しいはずではないか。 私は、妨害され、それまでのように走れなくなってしまい、ついに追い 抜かれてから、彼の心の中でかなりの葛藤があったのではないかと想像する。
彼には、特別なメダルが贈られることになったそうだ。 柔道の銅メダリストの日本人選手が残した名言のように、 「金メダル以上の経験ができた」のかもしれない。
それにしても、あの妨害犯は、1年禁固なんて手ぬるい罰でなく、 終身刑か、精神病院に終身隔離ぐらいのことをしてもらわなきゃ困る(`ε´)
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