2004年07月19日(月) |
「ダ・ヴィンチ・コード」(2) |
聖杯の研究に情熱を注ぐ宗教史学者ティーピングとソフィーのやりとり。
「聖書について知っておくべきことは、偉大なる大聖堂参事司祭でもある マーティン・バーシー博士の次の言葉に要約される。 『聖書は天国からファクシミリで送られて来たのではない』 「なんですって?」 「聖書は人の手によるものだということだ。神ではなくてね」
「新約聖書を編纂するにあたって、80を越える福音書が検討されたのだが、 採用されたのは、わずか4つの各伝だけだった」 「どの福音書を入れるかは誰が選んだんですか?」 「そう! キリスト教の根本的な皮肉はそれだよ。 今日の形に聖書をまとめたのは、 異教徒のローマ皇帝だった、コンスタンティヌス帝だ」 「コンスタンティヌスはキリスト教徒だったと思いますけど」 「とんでもない。コンスタンティヌスは生涯を通じて異教徒で、 抗う気力のなかった死の床で洗礼を受けさせられたにすぎない」
「なぜ異教徒の皇帝がキリスト教を公認したのかしら」 「コンスタンティヌスはやり手の実業家だったのだよ。 キリスト教がのぼり調子だと見るや、単に勝ち馬に賭けたわけだ。 コンスタンティヌスが太陽崇拝の異教徒をキリスト教に改宗させた 鮮やかな手並みに、今も歴史学者たちは舌を巻いている。 異教の象徴や暦や儀式を、キリスト教の発展途上の伝統と融合させ、 双方が受け入れやすい、いわば混血の宗教を創り出した」
「ニケーア公会議でキリスト教のさまざまな点が議論され、評決が行われた。 復活祭の日付、司教の役割、秘蹟の授与、そして言うまでもなく、 イエスを神とするかどうかについて」 「イエスを神とするかどうかですって? どういうことかしら?」 「その時点まで、信者たちはイエスを人間の預言者だと、 影響力に富んだ偉大な人物だが、あくまでも人間とみなしていたのだよ」 「神の子ではないということ?」 「そうだ。『神の子』というイエスの地位は、公会議で正式に提案され、 投票で決まったものだ」 「ちょっと待って。投票の結果、イエスが神になったの?」 「かなりの接戦だったがね」
「すべては権力の問題だ。メシアたるキリストの存在は、 教会とローマ帝国が存続していくために不可欠だった。 初期の教会は、従来の信者からイエスをまさしく奪い、 人間としての教えを乗っ取り、神性という不可侵の覆いで包み隠し、 それによって勢力を拡大した、と多くの学者が主張している。・・・・。 たしかにイエスは、並はずれた力を備えた偉人だった。 コンスタンティヌスの腹黒い政略のせいで、 イエスの生涯の偉大さが損なわれるわけではない。 誰もイエスを詐欺師呼ばわりしていないし、イエスが地上を歩き、 幾多の民をよりよき生に導いたことを否定してもいない。 われわれはただ、イエスの大いなる影響力を コンスタンティヌスが巧みに利用したと言っているだけだ。 キリスト教の今日の姿は、そういった作為の結果なのだよ」
「わたしが言いたいのは、キリストについて先祖から伝えられた ほとんどの話が、捏造されたものだということだ。 聖杯の物語と同じく!」
そうして、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵から〈聖杯〉の真相に迫る。
「このフレスコ画が、聖杯とは何かという質問に答えてくれるのね?」 「〈何か〉ではない。 〈誰か〉だ。 聖杯は物ではない。 実を言うと、聖杯は、、、、人なのだよ」
上巻はここで終わった。当然、即座に下巻に手が伸び、ページをめくった。
無実の容疑者として警察の追っ手から逃れるロバートとソフィーの逃亡劇も スリリングだが、ソフィーの祖父である殺された館長ソニエールが遺した ダ・ヴィンチの暗号に迫っていくこうした静的な部分もスリリングである。
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