TENSEI塵語

2004年07月06日(火) 学校長というもの

校長の意向が学校運営の基本と考える教員が意外と多いのに驚くのだが、
驚いているのは私だけであろうか?
前任校の職員会議は、文句言いたがりも案外多くいて、
割と会議が紛糾する機会もあったのだが、紛糾して長引くと、
年配の分別ありげな先生が立ち上がって、
「校長先生のご判断を」などと言い出すので困った。
「校長先生のご決断に従いますから」なんてセリフを聞くと、
ゾゾ〜〜っと全身気分が悪くなる思いだったが、私だけであろうか?

ほとんどいい校長に出会わなかったせいかもしれない。
私の考えるいい校長とは2通りである。
ひとつは、教員の自主的なアイディアと活動を認め、見守る人であり、
もうひとつは、ワンマン的に指導力を発揮しても、それが的確な人である。
後者のタイプにはまだ出会えていないが、前者は1、2名いたかもしれない。
我々の教育活動を煩わしく困難なものにしてしまっているのは、たいていは、
外部からのクレームにペコペコするばかりで現場知らずの教育委員会と、
自己保身と将来の地位にあくせくする学校長のわがままである。
わがままな生徒も厄介だが、わがままな校長は被害も多く手がつけられない。

我々は同じ学校に何年いるかわからない。
10年以上いるなんていうことは珍しくないし、20年以上かもしれない。
学校長はといえば、たいていは3、4年である。
彼らはその短い間に、目に見える成果をあげなければならない。
いや、別にあげなくてもいいのだが、その後の地位で名誉を自慢するために
何としても成果を見せなければならないと考えてしまうようだ。
もちろん、教委の不興を買うようなことはぜったい避けなければならない。
こうして短い任期を戦々兢々と過ごさなければならないものらしい。
だから、彼らの願いは、現状維持か、一時的によく見えることにとどまる。
表面的にうまく取り繕うことが第一なので、
我々が長い目で見た道を提案しても、相手にされなかったりする。
だから、校長が変わるたびに、同じ過ちを繰り返して進歩がない。

まぁ、腰掛けのような校長は、そうでしゃばらんでもよろしい。
我々は、何年も、直接に生徒に関わっていかなければならないのだ。
無責任なことを言ったりしたりして、将来に害毒を残すよりは、
自分が何のためにいるのか、ソウルホテルの社長から学んでほしいものだ(笑)


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