佐世保の女児殺害事件に関する井上防災相の発言が非難されているそうだ。 女の子がやったというのは初めてじゃないか、と言って、 「最近、男、女の差がなくなってきたんだね。ま、元気な女性が 多くなってきたということですかな、総じて。どこの社会も」 新聞を読む限りでは、男女平等になったから起きた事件、と解釈されて、 とんでもない発言として訂正を求められているようだ。 しかし本人は、そんな趣旨での発言ではないと、撤回の意思はない。
うーーん、私にはどうもこの発言トラブルがピンとこない。 このコメント自体が、事件とまったく無関係なコメントに思われるのだ。 料理の味についてコメントを求められたのに、 シェフの容姿についてコメントしているような感じである。 おまけに、記者が再現したこの口調は何だ?!
要するに、彼はこの問題について真剣に考えていない。 それをさも視野の広い評論家を気取って発言しようとするものだから、 軽率発言となってしまうのである。 内容がぜんぜんないという意味で、軽率きわまる発言である。 撤回しないと恥なんじゃないかと思うのだが。。。
さてさて、この事件で、以前から危惧していたことを思い出すことになった。 それは、こういう事件の解決策とか防止策とかいうものではない。 この事件を機に思い出した問題であり、直接には関係ない問題である。 そういう意味では、上述の防災相なみの話に過ぎない。
小・中学校でのPC情報教育は必要か、という問題である。 私は必要ないと思っている。 自分の子どもたちにも、自分でインターネットを許可したのは中卒後である。 小学生のころは、まだ触らせないようにしていたし、 中学生のころは、ワープロなどのソフトの使用までは許可していた。 稀にインターネットを必要とするときは、妻の管理下で許可、である。 タイピングくらいは、あくまで個人の趣味の領域で、早めに覚えてもよい。
けれども、あまり早くからネット社会に参入させることには反対だ。 調べ学習だとか、学校間交流だとか、良質な教育実践もあるけれど、 それはほんのわずかなおまけであって、 何も学校で大騒ぎして採り入れねばならぬ分野でもあるまい。 小・中学校の段階で必要なのは、本をめくって探して書き取らせたり、 ちゃんと自分の手で字を書いて手紙にすることであって、 インターネットによらない調べ学習や学校間交流で十分である。
私がニフティのパソコン通信なるものを始めたころは、 本にマナーが事細かに書かれていて、自分自身も不安だらけのものだから、 何度も熟読して、えいっとばかりに参加を決意したものであった。 それは主に、現在のBBSやチャットにあたるフォーラムに参加する上での マナーだった。 あのころに比べると、いろんな手続きが実に手軽にできるようになった。 携帯電話もPCもごちゃごちゃのネット社会になって、 ますます手軽になり、ネット社会の秩序もぐちゃぐちゃしている。
BBSやチャットは、いくら参加者が仲良しのお友達とはいえ、 その場は公の場であるという意識なしに、彼女らは遊んでいたようだ。 そういうマナーを教えるためにも、学校での情報教育が必要だなどと、 私は思わない。 言葉で規則を教えるよりも、生身の人間関係の体験を重ねることが大事だ。
今回の事件でも、問題の本質はやはり、(ネット云々ではなく) 殺してやる、と思ったことが、その通りに実行に移せる恐ろしさだろう。 この問題はあまりにも深すぎる。
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