ユジンが10年間チュンサンを忘れられなかったことは、 それほど意外でも不思議でもないのだが、 サンヒョクのユジンに対する一途な思いには現実離れした一途さを感じる。 チュンサンの死後10年ほども、チュンサンを忘れられないでいたユジンの 傍に寄り添い続け、他の女性に惹かれたことは1度もないことになっている。 何という殊勝な、というべきか、何と孤独で淋しい10年間というべきか? ともあれ、こういう男も現に存在すると仮定して、 彼は10年目にしてようやく、20余年来の悲願を果たし、 ユジンとの婚約にこぎつけた。 忍耐と誠実の勝利、、、喜びも我々には計り知れないほど大きかったはずだ。
ところが、チュンサンの再来によって、忍耐と誠実も台無しになる。 10年にも及ぶ忍耐と誠実、20余年来の悲願が台無しになる。 これを、安易に単なるふられ男と見るわけには行くまい。 単なるふられ男と見るには、年月の堆積が重すぎるし、喜びも大きすぎる。 だから、ドラマの最初の数話では善良の具現者のように見えたサンヒョクが、 次第に精神を病んで、利己主義と妄執の塊と化してしまうのである。 ドラマの後半に進むに従い、サンヒョクってこんな人間だったっけ?と思う。 ユジンとチュンサンの幸福を願いながらも、サンヒョクかわいそうだ、 という思いも否定しがたいのだが、それは、 運命が哀れなだけでなく、精神も表情も哀れに見えてくるからである。
チュンサンが登場してからのサンヒョクは、 まさに、踏んだり蹴ったりの目に遭わされていると言ってもいいだろう。 高校2年の冬にチュンサンが現れるまで、少なくともサンヒョクの意識の 中では、ユジンは〈俺のもの〉以外の何ものでもなかった。 周囲もそのように見ていたようである。 ユジンだけはそんな風には思ってなかったようで、 サンヒョクは幼なじみの友だち以上には思っていなかったようだ。 ここに根本的な気持ちのすれ違いがある。 それでも、このまま何ごともなく過ぎていけば、 結局のところはユジンと結婚できる運命にあったのかもしれない。
もしふられるにしても、純粋にふられるべきであった。つまり、 単刀直入に「夫としては考えられない」みたいに拒絶されるべきだった。 誰かに奪われるというかたちでふられるべきではなかった。 なぜならサンヒョクは、ユジンと結婚するんだ、という願い、というよりは、 素朴な信仰を幼いころから心に育んできたからである。 そして、サンヒョクがその信仰を持ち続けていられたのは、 ユジンもまたサンヒョクに恋していたからではなく、 ユジンがまだ誰にも恋をしていなかったからに過ぎない。 サンヒョクにとってユジンは初恋の相手でも、 ユジンの初恋の相手は、未来に出会える誰かであった。 その信仰の誤りをできるだけ早く、単刀直入に知らしめるべきだったのだ。
ユジンは、自分の自然な感情に従って、チュンサンに恋をした。 ユジンのチュンサンへの思いは初恋だが、 サンヒョクの意識の中では、ユジンの浮気、チュンサンの不当な強奪と映る。 頭ではユジンの初恋と解釈することができても、 心はその解釈に落ち着くことができない。 自分のものであったはずのユジンが盗まれたような感覚にとらわれるのだ。 幸い、高校時代のその動揺は、それほど深刻にならないうちに、 チュンサンが死んだという知らせによって終わってしまった。 ユジンを奪いに来たやつは永遠にいなくなった。 いずれはまた自分のところにユジンは戻ってくると、 サンヒョクは信じることができるようになった。 それは思っていたよりも長く、10年近くの年月を要したけれども、 とにかくも婚約にまでこぎつけて、サンヒョクは幸福の絶頂近くにいた。
そこにチュンサンが再び現れる。 ユジンの動揺は一通りでない。 サンヒョクも、2度と奪われまいと躍起になる。
サンヒョクの悲劇の根本は、素朴な信仰にあるようだ。
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