ユジンは10年間チュンサンを忘れることができないでいた。 私はそれについて疑問も抱かなかったのだが、 もし自分がこうだったらどうですか? などというインタビューも 行われることがあるようだし、10年間は長すぎると思う人もあるようだ。
脚本家が意識しているかどうかはわからないけれど、 10年もの間忘れられないでいた大きな要因はちゃんと設定されている。
ひとつは、チュンサンがいきなり去ったことである。 しかも、これからという時にいきなり去ってしまったことである。 思いがけない出会いから、強烈な印象を与えているさなかに、 いきなり姿を消して、もう目の前に現れることがなくなったことである。 去ったのが決定的になったのは、チュンサンの死を知らされた時だとしても、 ユジンにとっては、夕食の準備をしている時に姿が消え、 デートの約束場所に姿を見せないという、不可解な別れを伴っている。 そこに、いきなりの、決定的な「不在」の通告がなされるわけだ。 何も言わずに去られるのは、別れの説明をされて別れるよりも、 相手の存在が心に焼きついてしまうものである。 不可解に対して問う心が、相手により深く向かわせてしまうのである。 しかもそこに、チュンサンのクリスマスプレゼントが届く。 チュンサンに対し、驚くほどの魅力を抱いたはずの、 思い出の「初めて」の演奏と、それに続く明るい声のメッセージ、、、 いかにも、今そこに生きているかのようなメッセージである。 これではますますユジンも心の整理をつけようもない。
それでも、普通は、年月経つうちに、新たな出会いがあり、 去った人のことを忘れないにしても、心の整理をつけて、 新たな出会いに身を任せるものだろう。 ユジンはそれができなかった。 それは、いつもサンヒョクがそばにいたからだ。 ユジンにとってサンヒョクは、幼なじみの友だちか兄的存在でしかない。 けれどもサンヒョクは、幼いころからユジンと結婚すると決めている。 サンヒョクにとってそれは、幼なじみという意識から来る既得権、 つまり、自然な成り行きであり、当然の権利なのだ。 一時はチュンサンの登場によって揺らいだけれども、 チュンサン亡き後は、また既得権の行使に努めることになるわけである。 こうしてチュンサンの死後、サンヒョクはユジンにつきっきりだったはずだ。 こうなると、ユジンは、チュンサンへの思慕と、 サンヒョクの求愛の間で長い間生活せざるを得なくなる。 ユジンが大人になればなるほど、サンヒョクの存在は足枷になるのである。 もちろんサンヒョクは、自分の既得権の行使がユジンの自由を奪い、 ユジンの心を不幸にしていることに、ミニョン登場後もわかっていない。
しかし、仮にユジンに新たな胸ときめかす出会いがあり、 別の男と大恋愛をして既に結婚し、子どももいたとしても、 街角でチュンサンと同じ顔をした人物を見たとしたら、、、? 似ているのではない、同じとしか思われない顔なのである。 これは、絶対に動揺せずに入られないだろう。 心の整理ができて、その存在が心の片隅に片づけられていても、、である。
私はこのドラマを第2話の途中から見始めたけれど、 ぐっと心惹かれ始めたのは、第3話の、ユジンが街角でミニョンを見かけ、 婚約披露宴の時間であることも忘れてチュンサンの姿を追い求める場面からだった。
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