2004年05月23日(日) |
「冬ソナ」とお別れ? |
「冬ソナ」DVDを橋本さんに全部取られてしまったので、 今朝までまだしつこく見返していた「冬ソナ」としばしのお別れである。 採点に追われる時期だから、預かってもらえるのはかえってありがたい。 見られないのは淋しい気もするけど、見てちゃいけない時期でもある。 3日前第1集を貸したのだが、意外とさっさと見終えたようなので、 きょう第2集も貸したのである。 娘も見終わるまで貸してほしいということで、どうぞどうぞというわけだ。
我が家のあとの3人は、このドラマにいたって無関心である。 娘さえ恋愛ドラマよりも銀河英雄伝説なんかに夢中である。 妻がドラクエの冒険に専念している間、私が冬ソナに涙しているという、 実に変な家族である。 ただ、妻の場合は、もし見たら泣きすぎる恐れがあるので、 いかにも泣けそうな映画やドラマは積極的には見ないという傾向がある。 私にしても、泣きそうなものは1人で見た方がいい。
さて、手元にDVDがなくなって、落ち着いたかと思うと、そうでなく、 夕方には、きょう届いた「冬のソナタ 特別編」を一気に読んでいた。 韓国の冬ソナファンたちが、登場人物たちの ドラマには現れない思いを想像して(?)綴った文集である。 チュンサンの死後10年間のユジンの手記みたいなのもあるし、 アメリカに帰ったチュンサンの生活や心の内を語ったのもあるし、 ドラマから数年後の、ユジンの子どもの日記なんてのもある。 しょうもないようなものだが、おもしろくて1冊半ほど読んでしまった。
それから、しばらくシナリオを読んでいた(ぜんぜんお別れできてなーい)。 「冬のソナタで始める韓国語」というシナリオ対訳集である。 ところどころ省略されているけれど、8割方収録されているだろうか。 ドラマを見ていて、いいセリフをまとめておこうと思ったのだが、 同じセリフでも、ドラマの中で出会うのと、こうして文字で読むのとでは、 かなり心への入り具合が違うものだ。 演技、表情、音楽というものの効果というものは大きいものだ。 それに、ドラマ自体の流れというものも多分に作用している。 それで、そこだけ取り出しても言葉の重みを失ってしまうということもある。
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