TENSEI塵語

2004年05月03日(月) 理想と現実

書く暇がなかったので、橋本さんちにしたカキコを写しておこう。
きょうは憲法記念日でもあるし。。。

ある人がこんなカキコをしていた。
この人は、会社でよほど苦労しているらしく、こういうことをしばしば書く。

「失礼ながら学校の先生方は、現実感覚が乏しいように思います。
 現実の社会を知らない。
 大学教授たちが署名に立ち上がったのにも、それは感じます。
 若者の幼い理想主義を、手放しで賞賛する。(註:例の3人の人質の件)
 生きていくために、生活していくために、
 政治(すなわち利害衝突の調整)や経済の場面で苦労したことが、
 あまりないのでは?
 おそらく失業の不安も極端な収入ダウンの心配も、無縁の生活をしている。
 なりふり構わず売り上げ確保に奔走した経験など、あるわけがない。
 だから意見が甘いんです」

「労せずとも地位と収入が定年退職するまで保証されている
 公務員である方々が、国家や社会を批判するとき、
 厳しい現実からズレていて、説得力が乏しく、
 限界があるのではないかと言いたかったのです」

・・・・・・・・・
「これが現実だ」と肯定し受け入れることのできるものは大人で、
理想論をごちゃごちゃ抜かすのは幼稚な青二才だと、
若いころから何度も何度も言われてきたものでした。
「そんな歳になってそんなこと言っとっちゃいかん。大人にならにゃ」
とご親切に助言してくれる上司もいました。
上に引用した部分にも、同じ匂いが漂っていますね。
現実が絶対だ、それを素直に受け入れないやつは現実認識の乏しいやつだ、
そんなやつの戯言には説得力がない、もっと現実を認識しろ! と。。。

でも、現実を見るときに、「このことは本来こうあるべき」という視点は、
常に持たなければならないし、本来どうあるべきか常にみつめなきゃならない、
そうして、現実がいい方向に動いているのかどうか、認識しなければならない、
僕は常にそう思っています。
もちろん、そう思いつつ、今、組織の一員として、
すべきでないことをさせられようとしているぞ、とわかっていても、
自分の考えが組織全体には受け入れられなくて〈悪〉に手を染めざるを得ない、
そういうこともあります。
学校という場、教員社会という場だけは、
本来あるべき姿を守ってほしい、と願っているのですが、
営業第一、上っ面のお手柄第一主義の現実にかき回され、空回りしています。

現実といっても、それが国家でも、学校でも、
上に立つ人々が意図して動かしてきた現実であり、
それを、大多数の国民も徐々に馴らされては容認し続けてきた現実です。
それは、ますます大きな力を得て立ちはだかっているけれども、
〈絶対〉ではないし、決して正しいとは言えない。
なかなか大勢を動かすことはできないので、説得力に欠けることは認めます。
僕自身も〈悪〉に手を染めざるをえない苦しい思いを繰り返しつつ、
何とかそうでないように現実的方策を考える努力だけは怠らないようにしています。

本当は、国家の指導者たるものは、「本来こうあるべき」で
国家を動かしていかなきゃならないのです。
それが国家の指導者やその取り巻きの本来あるべき姿です。
彼らの考える「あるべき姿」と、我々が考える「本来あるべき」が
違っていたら、それに異論を唱えることは当然ですね。
彼らが作り上げてきた現実からどれだけ離れていようと、
おかしいものはおかしいと言わなければ、
ますます誤りに満ちた現実が動かしがたく立ちはだかるばかりです。
そして、国民の大勢が「これが現実なんだ」と容認し続けることによって、
ますます現実は重くのしかかる、、、そういう悪循環なんですね。。。

「これが現実なんだ」ということばは、
日本国憲法の下で生きる国民の口にするべき言葉ではないのです。
「これが現実なんだ」と肯定してしまうことこそ、無責任だと思います。
そして、憲法の理念を無視したり、障害や足枷のように思うような人物が、
日本という国家の指導者になってはいけないのです。
日本の今の現実の誤りの根本はここにあると思います。


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