TENSEI塵語

2004年03月28日(日) 「砂の器」終わる

映画での本浦父子の駅での別れの場面は、駆け寄って抱き合う式のもので、
それでもバックに流れる音楽の効果で大いに泣けたものだった。
今回のドラマでは、父は殺人犯であり、出頭のため護送されるのである。
映画と同様、秀夫が汽車の到着と競うようにして走ってくる。
三木と千代吉が乗り込もうとするところへ、秀夫が駅に駆け込んでくる。
千代吉は当惑する、、、映画のように駆け寄る秀夫を抱くことができない、
腕には規則どおりに手錠がかかっており、秀夫には見せられないからである。
三木の妻が慌てて秀夫を抱きとめ、近寄れないようにしている。
秀夫は父を呼び続ける。
三木は千代吉に、何とか言ってやれ! と促す。
千代吉には秀夫に言うべき言葉が見つからず、ただ当惑している。
秀夫は父を呼び続ける。
で、、千代吉は笑顔を浮かべ、秀夫に向かってゆっくり手を振った。
原田芳雄、最高〜〜と思わせる場面であった。
実に奥行きのあるみごとな笑顔であった。
映画以上に泣かせる父子の別れの場面だった。

ドラマが始まったころは、映画と同じ手法を取るということで
どうなることかと危ぶんだものだが、いいドラマに仕上がった。
難癖つけるとすれば、ピアニカにこだわりすぎたという点だろう。
映画と決定的に違う点は、最初から和賀の犯行現場を見せた点である。
それによって、3ヶ月に渡って視聴者は和賀と発覚の恐怖を共有する。
だから、実に緊張感に満ちた展開となったのである。

そして、和賀の悔しさも、映画以上に自分のことのように深く感じるわけだ。
子どもには何の罪もない。
それが、その親の子どもであるというだけで罪人扱いされてしまう。
それは明らかに社会的な誤謬だが、その誤りを一体誰が正してくれるのか。
和賀はその過去を抹消し、新しい生命を得て、栄光の頂点に近づいたが、
親切で善良すぎる美徳の塊である人物が皮肉にも不幸を引き戻したのである。
きょうのドラマは、最後に、医療刑務所の父のところに和賀を導いた。
音楽家として成功の道を歩んできた和賀も、結局のところは、
本浦千代吉・秀夫の父子関係から逃れることができなかった。
何とも哀しい結末ではないか。

世の中で一番恐ろしいのは、やっぱり、偏見と、頑固な大衆なのである。


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