TENSEI塵語

2004年03月24日(水) 進路指導への疑問

1年前に今の学校に赴任して、驚いたことのひとつが「総合」の計画だった。
何と、年中「進路」だらけである。
うんざりするほど「進路」である。
1・2学期は「職業」という観点で、調べたり、講演を聞いたり、
インタビューしたり、発表したり。。。
3学期は「進学」という観点で、調べたり、講演を聞いたり。。。
こんなんじゃ、生徒もいい加減うんざりするぞ、アレルギーになるぞ、
と危惧していたのだが、生徒の感想には、プラスで好意的なものが多い。
私自身としては素直に受け入れられないのだが、
厄介きわまりない「総合学習」がこんなんでも平穏に潰せるのなら、
ありがたいことだと思うべきだろう。
実際、その時間に苦労することはほとんどなかったのである。

ただ、表面化されない問題はある。
なぜ進路指導がこれほどもてはやされるようになったかというと、
できるだけ早く目標を持たせて、実現の努力へと促すためである。
けれども、この年間通じての進路学習に生徒の反応がよかった割には、
勉強に対する姿勢の方は大して変わりない。
意図と現実がすれ違っているような印象はぬぐえない。
拒絶反応は出ないけれども、麻痺症状なのかもしれない。

そして、もうひとつ、自分の高校時代に思いをめぐらす。
あのころは、こんなことをとやかくうるさく言われなかった。
私は、周囲の雰囲気で、進学するのがあたりまえのような、
かといって、勉強をする気になれず、就職したいような、
実に曖昧なところに身を浮かべて、真剣に考えることのないまま、
音楽や、読書や、文章書くことに熱中していた。
今思うと、それが今までの自分の生活に一番役立ってるように思われる。
それらは決して、将来のためにしていたことではなかった。
私が進路指導偏重主義に馴染めないのは、そのためでもあるのだろう。

制服規定が個性を阻害するとはぜんぜん思わないけれど、
進路偏重教育が個性を埋没させてしまうことは大いにあり得そうだ。


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