・・なんてことはまったく忘れていた。 帰ったら、テーブルの上に階下の婆さんが作ったちらし寿司が置いてあって、 おりょりょ、、と驚いてからようやくきょうは3月3日だと認識した。 昨日仕事帰りに買い物に寄る前は、ひなあられでも買わなきゃなー、と 思っていたのに、店に入ったころからは完全に忘れてしまった。 去年・一昨年のこの日は何書いてたのかなー、、と、過去の塵語を見たら、 2回とも、何も書かずにさぼっていたようである。 やっぱりほとんど意識の表に上ることなく過ぎてしまったのだろう。
冷蔵庫のあり合わせで、おかずというべきかつまみというべきか、 とにかく夕飯の用意をして、坊ずと食べ始めた。 我が家の女ふたりはまだ帰らない。 妻はまだ仕事だし、娘は、弦楽合奏サークルの定演前の練習で遅い。 私が忘れているだけでなく、優雅に雛祭りなどと言っていられないのである。
これで誰でも察しがつくように、雛人形も当然出ていないのである。 私自身、飾られた雛人形を見るのは好きなのだが、 ここ10年ほどは、全部飾ったことはなく、 殊勝に飾っても、最上段の親分夫婦だけですませてしまっている。 段を全部組み立てて全部飾るだけのゆとりがないのである。 しかも、3日過ぎてもそのまま放置したことが何度あったことか。。。 娘は、100歳まで生きても、金輪際嫁には行けまい。 雛人形を飾るのは、かえって罪作りにもなりかねない。
もうちょっとゆとりがあったら雛人形を飾るのに、残念である。 何とも優雅なインテリアではないか。 子どものころ家に飾ってあった母の段飾りは、40センチ四方くらいの 小さな段に、丸っこい粗末な粘土製のかわいい人形だった。 ほのぼのとした、実にいい味わいの顔をしていた。 そのせいか、娘のを買うときも、細面のエレガントな人形を買う気になれず、 ふくよかな真多呂人形の中から選んだ。 本当は、さらに、段飾りでなく、寝殿造りの一画のようなものはないかと 探したのだが、まれにあっても高価すぎた。
雛人形の原点は、王朝時代の宮中のミニチュアである。 着せ替えごっこ付きのままごと遊びである。 ま、早い話が、貴族社会の女の子たちの、りかちゃん人形みたいなものだ。 桃の節句専用のお飾りなどではなかった。 桃の節句には、それとは別に、人形を川に流して、女子の厄を流した。 両方が合体して、今のように雛人形が扱われるようになったのは、 室町のころだったか、、武士の世になってからである。
段飾りというのは味気ないものではないか。 清涼殿のような間取りのフロアにちょっと趣向を凝らして配置したいものだ。 そうすれば、人形にももっと表情があらわれることだろう。 ものぐさなくせに贅沢なことを言っているけれども、 長年こんな風に思っているわけだ。
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