学力低下は週5日制になったからだという意見がやけに採り上げられて、 また週6日制に戻そうかという声も聞こえてくるのであるが、 問題の本質は週5日制になったというところにあるわけではないので、 元に戻したところで、学力低下が治癒できるわけではない。 確かに、週5日制になるころから学力低下は顕著になり始めたかもしれない、 でも、だからそれが一番の原因だと考えるのは短絡的である。
私は週5日制にすることにはあまり賛成ではなかった。 教員だけ週5日制にすればいい。 教員には日曜日以外に、個々に休日を1日分割り振ればいい。 学校自体は週6日、生徒も週6日登校して勉強すればよいと思っていた。 文部省が土曜日を休みにするためにいろいろとこじつけた理想は、 あまりにも非現実的で実現しないし、 土曜日も子どもを休みにされては困るような仕事に従事している家庭も あるに違いないと思ったからである。 あえて今までの慣習を変更する必然性を認めなかっただけで、 そのために学力低下を引き起こすことを心配したわけではない。
そもそも学力なんてのは、自分で勉強する子や自分で理解しようとする子、 それからまた、繰り返し接したり関わりを持った子は、伸びる、という そういうものではないかと思う。 そもそも学力とは何か、どうあるべきかという問題をあっちに置いておけば それだけのことではないかと思う。 それなのに、まず第一に、世の中の親が甘くなって、経済的にも恵まれて、 子どもにも辛抱強さや根気よさや集中力がなくなってきた。 そんな生育の過程で、テレビやゲームはますます競っておもしろさを追求し、 社会人の利器だったはずのケータイは、それだけでは儲からぬというわけで だんだんと若い層から幼い層までターゲットにし続けてきた。 今や、小学生まで浸食している時代になっている。 芸能界は次々に新人を売り込んだりもして、大騒ぎする。 勉強どころではない環境を、社会が躍起になって作っている。 そんな中で、小学校などでは、宿題をバンバン出すことをやめて、 自由課題みたいな、中途半端な宿題を課す風潮が何年も前から広がっている。 こういう生活環境では、いくら自主自律の精神を育てるという理想でも、 かえって逆効果と言うしかない。 そんな中でまた、塾に通わなきゃ進学競争に勝てないとかいう おかしな風潮がはびこって、塾に通う子どもが増える。 逆効果とは言わないけれど、その信仰には落とし穴がある。 塾への信仰が強まれば強まるほど、自分で勉強する子どもは減るということだ。
私は、学力低下の真の原因は、社会の自由競争のなれの果てだと思っている。 一方でそういうことを奨励しておきながら、一方で学力低下を憂うのは、 実にちぐはぐな社会ではないかと思う。
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