2日さぼってしまった。 一昨日は、進路検討会という虚しい会議で遅くなった。 昨日は、1年生の模擬テストで日中がつぶれた。 そんな中で、空いた時間を「ラチェット」につぎ込んでいたら、 知らぬ間に時間が経ってしまっていた。 ゲームをやりながら、人間に与えられた学習能力というのはすごいもんだ、 と、自分をほめてもいいようなところで、もっと大いなるものに驚いている。
この間、新聞で文科省が行ったとかいう10万人の高3生の学力テストとか、 100マス計算の是非とか、そんな記事を読んだ。
100マス計算、大いにやりなはれ、と思う。 何でもいいから、計算力の訓練は、理屈は後回しにしてやらせればいい。 小数や分数の100マス計算用紙もどんどん作ってやらせよう。 数字や計算が恐くなくなることも大切だ。 訓練すべきことはしっかり訓練させればいい。 その訓練の意味は、先に知っても後で知ってもかまわないではないか。 数学でも理科でも、計算力がおぼつかないために、 考えても成果にならず、理解できてても×になるなんて悲しいではないか。 そういう訓練も、頭を耕すために無駄になるとは思われない。 けれども、そればっかしやらせているとしたら、その教員はバカだ。
さて、学力テストの話だが、いろんな分野で、 予想点より平均が下回ったとかほぼ同じだとか言って一喜一憂しているが、 底辺校に近い高校ばかり勤務してきた私から見ると、 案外よくできるんじゃん、と感心するような次第である。
その学力テストのアンケートの方であるが、 「学校の授業以外にどれだけ勉強するか」の問いに対し、 「まったくしない」「ほとんどしない」は41%だそうである。 嘘でしょ? ホントにそんなもん?? ま、する方に応えたものの中には、塾や予備校組もいるだろう。 「勉強が好きだ」とは思わないのが、73%。 ま、これはこんなものでしょう。
私自身も高校時代まで勉強が大嫌いだった。 家で自分で勉強しないから、授業はわからなくなる。 授業はわからないから、授業が苦痛になる。 わからないことだらけになるから、 家で自分で勉強しようと思ってもめんどくさいばかりになる。 中学時代は、国数英だけは塾で予習させてもらっていたおかげで トップ争いレベルだったが、その他の科目はコロンコロンだった。 自分で勉強するこではなかったからである。 高校の時は塾に行かなかったから、国語以外はコロンコロンだったわけだ。
最近しばしば思うのだが、集中カリキュラムはどうかな、と思う。 同じ科目を一定期間毎日続けるのである。 同じ学年の中で、時期によって時間割ががらっと変わる。 学力底辺校では特にそういった工夫が必要である。 前日の授業の記憶が新たなうちに次の授業を積み重ねて行く。 家で復習しない生徒が蔓延している現状の中では、 たとえば月曜と金曜に授業があるような場合だと、 ちんぷんかんぷんを積み重ねて虚空に楼閣を浮かべて行くような営みになる。 時々を1年間続けるよりは、毎日を3ヶ月ほど続ける方が認識が深まる。 運用上の困難はありそうだが、一考したいものである。
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