間違えて昨日の新聞をめくったら、昨日は見落としていた記事が目に入った。 「楽団員の給与 査定できる?」という見出しである。 東京都交響楽団に、職能給制が導入されるという。 うーーん、どういうことかいなぁ、、、 ヴァイオリンは弾きっぱなしで譜面も多いから給料が高くて、 出番がないときもあれば、1時間近い曲の中でも1カ所しか出番が ないこともあるようなシンバルやドラの奏者なんかは月給1万円とか、、? そんな虐げ方したりしたら肝心なときに大事な奏者がいなくて困るぞ。
そんなんではないらしい。こんな評価基準が例としてあげられている。
・音楽的調和に努め、自己の演奏能力を最大限発揮した。 ・聴衆に不快感を与えないようステージ・マナーを励行した。
ん? そんな気持ちのない楽団員がいるのかいな? わざと音程を外して不調和に努めたりする人がいるとは思われないが、 いるようならその人は首にするか、しばらく謹慎であろう。 管楽器などソロ楽器の場合は、きょうは手抜きしてるなとわかることも あるだろうが、大勢が一斉に弾いている弦楽器の場合、 誰が最大限能力を発揮していて誰が手抜きしているか、判定できるだろうか? ステージマナーについても、見る人によってさまざまではないか。。。
評価基準は幾つかあるようだが、とりあえず3つしか紹介されていない。 もうひとつはあとで挙げる。
それよりこういう問題が出るたびに思うのは、誰が査定するかということだ。 好き嫌いの激しい音楽家がするのか、音楽について知らない役人がするのか。 公明正大な客観的査定のできる人材を、 いったい誰が保証して推薦できるというのか。 上に立つものにはそういう立派な人間は皆無であるというつもりはないが、 多くはおべっかを駆使して成り上がり、自らもおべっかに弱い連中である。 教員評価制度でも、一番問題になるのはそこである。 我々はすでに判断を誤っていた校長を複数見ているのである。 さらには、正論を唱える者を敵視し、正論を捨てて擦り寄ってきた者を かわいがる管理職を見てきているのである。 そんな人間が評価だの査定を始めたりしたらどういうことになるのだ、 という問題である。 残念ながら、そういう人事のからくりがどうなっているのかわからないが、 もうその時点ですでに、見る目がない、という事態が大いにあるものだ。 「白い巨塔」など見ていても、里見のような医師にこそ上に立ってほしいと、 誰もが願うではないか。でも彼は逆に追い出されてしまうのだ。 どこもかしこも、ただ上の言いなりになるような機構に持って行こうといるのだろうか。。。
さて、都響の話だが、こんな談話も載っている。 「オケの〈色〉とか何とか、専門的なことを言われてもよくわからない。 我々のように、演奏会に足を運ばない素人にもわかる指標を作る義務が 都響にはある。他のオケとは違い、税金を投入されているのだから」 この談話は、教育庁生涯学習スポーツ部計画課長の談話らしく、 どういう関係か知らないが、これが「担当部署」なんだそうである。 畑違いの部署に思われる上に、その課長自らが、「演奏会に足を運ばない」 と威張って話している、それが担当部署なんだそうである。 ますます不可解な話である。 何か、早い話が、めんどうなことをやいのやいの言って、 解体して厄介払いしてお金の負担から逃れたがっているだけにもみえるし。。
けれども、私は、税金で成り立っているという意味は理解したいと思う。 だから、評価基準に挙げられていたもうひとつのもの、
・楽団のステータスや知名度を高める努力を積極的に行った。
これだけあればいいんじゃないかなぁ、と思うのだが。。。 マーラーやベートーヴェンの聴衆も満足させ、その一方で、 演歌も民謡もヒット曲もヒーリングミュージックも日本の唱歌も、 何でもできて、いろいろな場面で感動させられるオーケストラであるとよい。 納税者のごく一部の趣味の対象というのでは、無駄の声も出るかも知れない。 それを堕落だのくだらんだの楽員が言うようであれば、 あなた方にとって音楽とは何ですか? と問い返さねばならなくなるだろう。 ま、楽員全員でなくても、「都民に愛される活動」に積極的で、 より幅広い活動に参加できる人はそれだけ報酬が多くてもよい。
ただ、ここにひとつ思い過ごしのような不安もちらと現れたりする。 これって、将来的に、国家・軍歌ばかり演奏させて国民意識高揚を手伝う 御用楽団にするための伏線なんじゃないの?・・・なぁんてね、 そんなのオケにさせなくっても、ちゃんと自衛隊や警察のバンドがあるから、 そんなことはないと思うけれど、だいたいあのおかしな評価制度みたいなのはたいていそんな臭いを漂わせているものだから、つい。。。
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