TENSEI塵語

2004年01月09日(金) 6年前の慨嘆

休み明けといえば長年気が重いものであったが、今年は、
病み上がりということが重なっても、ほとんど苦にもならず、
そう緊張したり心構えしたりすることもなく、教室への足取りも平常である。
生徒の顔を見るのもちょっとは楽しみであるような、
要するに、普通の健全な教員生活が送れているということだ。

そういえば、一時期最悪の心境に陥ったことがあったなぁ、、と、
以前かつての同僚に送ったことのある年賀メールを探してみたら、
それは98年(だから6年前だ)のメールで、こう書いてあった。

・・・・・・
僕自身、本当は、もう今の高校生を見ているのが耐え難くなっています。
あと何年この仕事に耐えられるだろうかと言うくらいに。
Nクンがまだ本校にいたとき、彼が終礼から戻ってきて
誰かと雑談しているところへ通りかかると、生徒について文句を言っていて、
「反吐が出る」などとさえ言っていたことがあります。
僕は、まあ、そこまで言うもんじゃない、と思いながら聞いていましたが、
最近はそこまで言いたくなってしまいます。
サルトル的な「嘔吐」の感覚です。
以前は、放課などに教室に行くのも、半分義務的、半分楽しみみたいな
ところがありましたが、このごろは、義務も放棄し、
できるだけ生徒を見たくなくて、喫煙室に根を生やしたように座っています。
教室に行っても、無駄な注意を最小限にするために、
今怒るかしばらく様子を見るかを選別しながら、
見ない振りをするために目を逸らすことが増えてきました。
かなり堕落してきましたね。
 
戦後民主主義が、何とかいい方向に向かいつつあったのは、
戦後20年か30年の間であって、50年を過ぎた今を見てみると、
若者の甘えとわがままと怠惰と礼儀知らずを助長してきただけではないか、
と腹立たしくなります。
僕らの若かった頃の大人も同じ思いだったかも知れませんが、
だから、「助長」という言葉を使うことにしています。
本校の生徒を見ているだけでも、数年前と比較するだけでも、
全然違う気がします。入ってくる生徒のレベルが下がっているのも
確かですが、そういう問題ではなく、気質が違います。
・・・・・・・


すでにあのころルーズソックスやミニスカートや男子のシャツ出しが流行り、
ピアスも流行っていたのではないかと思う。
その上高校生がケータイを持ち始め、ジベタリアンが蔓延し始めた。
校舎内が退廃の極みといいたいほどに、けだるい風景に支配されていた。

その前の学年までは、私はよく休み時間に教室に出かけていたのである。
生徒に用ができても職員室に呼び出さず、教室に行くようにすると、
ついでに他の生徒にも声をかけられるし、生徒たちの観察もできる。
そういうことが実に気楽にできていた。
ところが、この年度は、教室に顔を出すのがイヤになったのである。
行けば、見逃せない、注意しなければならないことだらけである。
特定の生徒に用事があっても、そこまで行き着けないこともあった。
見とがめて注意しても、その反応は暖簾のようだし、象のようでもある。
刃向かってくるようなことはほとんどなくても、
たとえば、ただ立ち上がらせるだけにでも5分かかるようなものである。
目の前の群れが、生きた人間の若者だとはとうてい思えず、
正体不明の軟体生物か得体の知れない無機的存在にしか感じられなくなった。
怒ったり腹を立てたりするより前に、まず気持ち悪いのである。

さいわい、地べたに座る風習はわりと早く廃れて、
2、3年もするとあんなひどい光景からは解放されるようになったけれど、
他の愚かしい流行は一部の生徒の間でエスカレートするばかりだし、
不愉快で目をそむけたくなるような雰囲気は続いていた。
授業中ぐたぐたしがちな生徒も、年々増えるばかりだった。
この仕事にあと何年耐えられるか、1年辛抱してみるか、という思いは続いた。


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