TENSEI塵語

2004年01月04日(日) 初詣

今年初めて外に出た。久々に娑婆の空気を吸ったという感じである。
大晦日の夕方以来一度も外に出ずである。これはたぶん初めてだ。
庭にも出てないし、ベランダにすら出ていない。
別に大した外出でなく、年賀状を出し、食料の調達に行っただけである。
初詣も、子どもが小さかったころは、世間の慣習に触れさせるために、
必ず2日に出かけていたけれど、今は子どもは行きたいときには自分で行く。
ついでに回り道して、買いたいものを買ってきたりもする。
もうわざわざ世話焼くこともないので、私も神社なぞに行く必要もない。
神社なぞ行かなくても、正月でなくても、平和や幸福は祈れるものだ。

そんな風にあっさり割り切っている私も、
高校時代までは初詣はしなければならないものと教育されてきた。
友人と初詣に行っても、必ず家族とも初詣をしなければならないのだった。
小さいときからそうだったので、自然とそのような気分も作られていた。
けれども、高校時代の途中から、理性的な思考も入り始めて、
小さいころから培われた当たり前の気分に裂け目が入り始めてはいた。
(もちろんそれだけではなく、父親の激しい反共感情から支配されていた
 政治観・社会観にも、まったく違った変化が訪れ始めたのである。
 しかしこれはまた、別の話)

大学の、最後の年のその前の年だったと思うが、帰省しなかった。
東京で年を越そうと思って、年越しは仏文科時代の友人が泊まりに来た。
一晩飲み明かして、夜が明けたころ、明治神宮に行ってみようと思い立った。
初詣のメッカを一度見ておこうよ、という話になったのである。
神宮の周辺から、もう、すごい人である。
長い参道を、何列にもなってのろのろと進んで行く。実に長い時間である。
やっと、本殿前の広場に来た、そして、驚いた。
すぐ目に入るのは、本殿でも何でもない、機動隊(?)の列である。
これ以上中に入らないように、という意味で横一列に立ち塞がってるらしい。
皆、顔に透明の仮面をかぶっているのは、賽銭に当たるからであろう。
驚いたとたんに、ダーーーッと横や後ろから押された。
まるっきり戦場である。手を合わせようとしても、押されて立ち止まれない。
誰も彼も、自分が拝むことに無我夢中で場所を争っているかのようだ。
手を合わせる必要もない、これがありがたきメッカの現状だ、と、
見切りをつけてそのまま退場口の方に行って、友人の姿を探した。

これじゃちっとも初詣にならん、と言い合って、
上智大の前にあるイグナチオ教会に行こうということになった。
私はやや熱心な自称クリスチャン(聖書のイエス派である)だったにしても、
彼はそのころはそれほど信じてなかったはずであるが、つきあってくれた。
四谷で下りて、聖堂に入った。
・・・何という落ち着いた静寂の空間であろうか。。。
先の戦場がひどかったために、そこは実にありがたい場所であった。
並んだ長椅子の一画に座り、いろいろなことを思った。
こうして静かにいろいろな思いをめぐらせながら新年を迎えればいいのだと
心の底から知ったのだった。





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