| 2003年11月29日(土) |
学習合宿よりは、、、(2) |
2泊3日のプログラムの決められた案をもとに考えてみた。 まず、自学自習の習慣を作る機会としてこういう行事を考えるなら、 合宿という形は必要ないし、かえって日数も窮屈になってしまう。 学校で、何日間か行えばいいはずではないか。 金銭の負担も実に無駄である。 また、その3日間にいろいろなプログラムを盛り込んで統一するのは、 かえって場当たり的なものになって効果が薄いのではないか。。。
だから、まず、勉強内容は生徒が個々に計画すべきである。 ある問題集を1冊、とにかく相当量やり進めるだけでもいい。 1学期間に受けた補習の総復習をするぞ、というのでもいい。 ひたすら英単語と熟語を覚えるぞ、というのでもかまわない。 この日のこの時間はこれ、この時間はこれ、と計画してもかまわない。 自分が入試に向けて何をすべきかを考えて、それぞれが計画する。 (もちろん、場を設定する側の責任として、事前点検・指導が必要になる) 要するに、本来自宅で個々にすべきことなのだけれど、 それができない、その経験を欠いているから、サポートするわけである。 大学入試に必要なのは、本来はこの能力なのだし、入試に限らない、 最近流行りのはずの、生涯教育という視点からもためになるはずである。
私自身の経験では、この種の勉強に取りかかったときに自信になったのは、 単語集1冊覚えきったとか問題集1冊最後までやりきったという実感である。 三日坊主、3週間坊主だけでなく、買った問題集や参考書の、 3分の1もやらずに、知らないうちに忘れてしまっていたのが実状である。 受験勉強の第一歩は、教科書なり参考書なり問題集なりをやり倒すこと、 やり倒す、というと誤解されそうだけれど、征服することである。 読書嫌いが本1冊読破したときの充実感と似ている。
そんなわけで私が出した結論は、3年生の夏休みの補習はなしである。 補習の代わりに、自学自習特訓期間とでもして、個々の学習を監督する。 8月10日まで、約3週間、約15日間できるわけである。 朝9時から、80分ずつ3コマでも4コマでもよい。 各自の勉強は相当量進むことは確実である。 集まるのはその気で集まる生徒たちだから、寝てばっかりということはない。 喋ってばかりという危険は、監督がつけば絶対大丈夫である。 その監督も、教科にこだわらずつけることができる。 国数英理社の教員ばかりに負担が行かないというメリットもある。
私自身の経験では、たとえば問題集なり単語集なり取り組んだ場合、 なかなかページが進まないうちは前途遼遠という思いに圧迫されて 意気消沈するものだが、半分以上とか7割方とか進むと、 何とかこいつを征服してやりたいという励みに変わるものである。 これがさらなる学修意欲につながったりするものだが、 ここまで自己を律するのが苦しい、、、で、負けてしまうものなのだ。
こういう体験の中で、生徒たちが何かをつかんでくれないだろうか、、、 また、他律と自律の相克する状況に耐えながら、 自律への力を養ってくれないだろうか、、、 学習合宿反対を考える中で、私はかえってそんな思いに変わってきた。 私は、高校時代まで批判的だった受験勉強の中で勉強の楽しさを実感した。 それは実に複雑な心境になる事態ではあったが、 要するに、何でもそうだけれど、勉強も真剣にやってはじめて、 その楽しさがわかるものなのだ。 入試で合格することよりも、勉強の楽しさをわかってもらえれば最高である。
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