ホントに3連休だったのか、とあっけなさに呆然とする。 うん、確かに、一昨日の夜と昨日の夜は3連休の喜びを確認したはずである。 「明日も休みだし、明後日も休みだー」とか、「まだ明日も休みだー」とか、 ありがたいことだと噛みしめたはずである。 終わってしまえば、2連休も3連休も大差ない、 むしろ、3連休だったのにー、というよけいな思いに煩わされるだけだ。
しかし、昨日、台所兼食堂のドアの取っ手が長い間壊れたままだったのを、 時間をかけて構造解明して修理したり、 トイレ掃除や廊下掃除に時間をかけることができたのも、 3連休故の心のゆとりの賜物である。 最近、遅れ気味でやっつけ仕事みたいになっていた市吹の活動日誌も、 昨日はゆっくり時間をかけて書いたりしていた。 きょうは、試験問題を作りながら、無線LAN のメンテナンスもやっていた。 休日ならではの過ごし方もできているのだろうけれど、 なーんとなく虚しく終わった感が強いのは、内面的な生産性に乏しいからだろう。
最近は、今の職場での仕事の流れや仕組みやペースにもだんだん慣れてきて、 だいぶ気楽にいろんなことができるようになってきた。 生徒の言動に手を焼くということもほとんどないので、 授業をこなし、クラス担任をし、時々分掌の雑用をする程度なら 気楽なんだなぁ、、という思いを、改めて感じている。 (確かに前任校でも、8年ほど前までは、担任が楽しかったものだ) 去年まで、分掌主任という立場にいた時よりうんと気楽である。 きょうは帰ってよさそうだな、と判断すると、定刻になれば、 あるいは時間給をとってさっさと帰るのに、去年までほど躊躇しなくなった。
そんなゆとりがあるせいか、この際ちょっと意を決して、 長年迷ってきたことをひと月前から2つ試してみた。 ひとつは、古典の授業で徹底して品詞分解して、 そのつど、用言の活用を書かせるというやり方である。 私自身が高校時代にやらされて、後にたいへん助かったという方法である。 今までは、いろいろな意味で恐くてためらっていたけれど、 この際思い切って試してみようと考えたのである。 またもうひとつは、日々の授業の復習を 担任の立場から宿題にさせようという試みである。 ノートや教科書を書き写すだけでもいい、 主要項目を何度か書くだけでもいい、どんな方法でもいいから、 その日の授業を短時間でもいいから振り返りなさい、という宿題である。 これも私が小・中学校時代に一時的にでもやって、なるほどと思った方法で 大学に行ってからはかなり高度な方法で実践していたものである。 もちろん、復習を原則としてはいるけれど、 他の方法が良ければ何でもいいことにしてある。 何年もためらっていたのは、ノートにやらせると点検が大変だからだった。 それを、用紙を配るという方法を思いついて、 それならいつ点検してもいいわけだから、実行に踏み切ったのである。 もともと学力が大してない上に、家に帰ると学校のことは忘れてしまう、 だから、授業はまじめに受けていても赤点の危機にさらされてしまう、 そういう生徒が多いので、見るに見かねて始めたというわけだ。 (こんな小学生相手のようなことをやらねばならんことを悲しみつつ、、) こちらの方は、きっちり応えてくれている生徒は、まだクラスの3分の1だ。 どちらも、成果のほどがわかるにはまだ時間がかかるだろう。
そんなことも、長い目で見れば、緊張と楽しみの種にはなっているけれど、 いずれにしても、内面のドラマを感じない生活はなんとなく物足りないものである。
|