TENSEI塵語

2003年11月04日(火) みせばやな、、?

職員室で隣の席の年配の英語の先生が、
「私、百人一首で古典の文法やるの、いいと思うよー」と言った。
本当にその通りだと思うし、それを試みようとしたことも何度もあった。
けれども、百人一首の暗唱の段階でかなりの困難にぶつかってあきらめた。

私が高校時代に古典の授業をおもしろいと思った理由のひとつは、
小学生の時にわけも分からず覚えた百人一首の歌の謎が、
ひとつひとつ解き明かされていった、驚きや感動である。
子どものころ、母や妹とよく百人一首でかるた取りをして遊んでいた。
母が読んでくれて、私と妹が札を探すのだが、なかなか見つからない。
母はその間、時には眠たそうになったりうんざりしたりしながらも、
下の句を何度も何度も復唱してくれていた。
私たちも、時にはそれを口で言いながら探していた。
読み手は、時には私や妹に回ってくることもあった。

今思うと不思議だが、その歌がどういう意味かということは追求しなかった。
意味はわからなくても、札取りの遊び自体が楽しかったのである。
「かたぶくまでのつきをみしかな」と聞いて「かたふく」を思い浮かべ、
「おたふくおたふく、、」と探すような、
「はげしかれとはいのらぬものを」と聞いて、
「はげになれとはいのらぬものを」と探すような、そんな程度の遊びである。
早く取れるようになりたくて、絵札だけを何度も読んだりしていた。
そんなことをしているうちに、全部覚えたわけではないにしても、
お馴染みのセンテンスが自然とできあがってしまったのである。
意味不明の暗号だらけのセンテンスである。

それが、数年後に、たとえば終助詞「ばや」の意味を知ったりすると、
突然「見せばやな」というフレーズが浮かんできて、
あれ「見せたいな」みたいな意味だったんだー、と目から鱗になる。
「みゆきまたなむ」なんて女の子の名前を含んだような謎のセンテンスも、
「御幸」とか終助詞「なむ」の意味を知ってしまえば、な〜るほどと思う。
助動詞や、副助詞の「し」や、係り結びや、、、どれも同様である。
わけもわからず覚えていたことが、数年後に数々の驚きをもたらしてくれて、
そのおかげで、この勉強大嫌いだった高校生にも古典の勉強は楽しく、
労せずしていろいろなことをすぐに覚えることもできたのだ。

意味不明の暗記を侮ってはいけない。
英語も同様である。
またの機会に、英語についての同様の思いをまとめてみよう。



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