職員室で隣の席の年配の英語の先生が、 「私、百人一首で古典の文法やるの、いいと思うよー」と言った。 本当にその通りだと思うし、それを試みようとしたことも何度もあった。 けれども、百人一首の暗唱の段階でかなりの困難にぶつかってあきらめた。
私が高校時代に古典の授業をおもしろいと思った理由のひとつは、 小学生の時にわけも分からず覚えた百人一首の歌の謎が、 ひとつひとつ解き明かされていった、驚きや感動である。 子どものころ、母や妹とよく百人一首でかるた取りをして遊んでいた。 母が読んでくれて、私と妹が札を探すのだが、なかなか見つからない。 母はその間、時には眠たそうになったりうんざりしたりしながらも、 下の句を何度も何度も復唱してくれていた。 私たちも、時にはそれを口で言いながら探していた。 読み手は、時には私や妹に回ってくることもあった。
今思うと不思議だが、その歌がどういう意味かということは追求しなかった。 意味はわからなくても、札取りの遊び自体が楽しかったのである。 「かたぶくまでのつきをみしかな」と聞いて「かたふく」を思い浮かべ、 「おたふくおたふく、、」と探すような、 「はげしかれとはいのらぬものを」と聞いて、 「はげになれとはいのらぬものを」と探すような、そんな程度の遊びである。 早く取れるようになりたくて、絵札だけを何度も読んだりしていた。 そんなことをしているうちに、全部覚えたわけではないにしても、 お馴染みのセンテンスが自然とできあがってしまったのである。 意味不明の暗号だらけのセンテンスである。
それが、数年後に、たとえば終助詞「ばや」の意味を知ったりすると、 突然「見せばやな」というフレーズが浮かんできて、 あれ「見せたいな」みたいな意味だったんだー、と目から鱗になる。 「みゆきまたなむ」なんて女の子の名前を含んだような謎のセンテンスも、 「御幸」とか終助詞「なむ」の意味を知ってしまえば、な〜るほどと思う。 助動詞や、副助詞の「し」や、係り結びや、、、どれも同様である。 わけもわからず覚えていたことが、数年後に数々の驚きをもたらしてくれて、 そのおかげで、この勉強大嫌いだった高校生にも古典の勉強は楽しく、 労せずしていろいろなことをすぐに覚えることもできたのだ。
意味不明の暗記を侮ってはいけない。 英語も同様である。 またの機会に、英語についての同様の思いをまとめてみよう。
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