TENSEI塵語

2003年09月25日(木) 退学

先週の火曜日に、坊ずが退学したいと言い出した。しかも、きっぱりと。
長く迷い続けていたことを、はっきり宣言したのだということは
よくわかったが、それでも、その夜は長い時間話し合った。
その日のうちに私自身も結論を出したけれど、その後も2度話し合った。

高校ではない、声優養成のための学校である。
親の方が、そんなとこでやれるはずがないと思っていたのに、
本人が非常に意欲的なので、親もそれにひとつの希望を託そうと思ったのだ。
ひとつの希望とは、外に出ること、定期的にある場所に通うことである。
簡単に言えば、4年以上の不登校状態からの脱皮である。
考えようによっては、その学校はいい条件を備えていた。
週5日、午後2時から5時までの3時間だけである。
身体も大いに動かすし、発声の訓練もあるし、、、それに何といっても、
本人自身が是非にと選んだ道である。

やめたい気持ちがどこから始まったのか、どうもよくわからない。
実際は入学の前に始まっていたのかもしれない。
すさまじい緊張感の中にいるらしいことがよくわかったが、
それは、我々が新年度を迎えるたびに毎年感じていることでもある。
講座が始まって数日のうちに弱音を吐いた。
この時はうまく励ますことができて、そこから何とか続いてきた。

ただ、私は、この学校を続けるためには病院通いをやめて、
ひたすら毎日通い続けるべきだと思ったが、やめさせることができなかった。
そんなわけで、たいてい、週1回は欠席する状態だった。
そして、もっとも心配していた状況に陥ったのである。
演劇演習のグループの中で、通院や体調不良で欠席することを
激しく避難されるようになってしまったのである。
それが、7月ごろから顕著になっていた。
本人にとって、そういう欠席は、医者からも勧められた正当な理由である。
(そして、貴重な逃げ場でもあるのだが、、、)
だから、彼には学院の周囲の人間が暴力的に見えてくるのである。

このままでは心の病が深刻化する一方だろうと判断して、
きょうは学院に退学の申し出をしに行って、届け出用紙をもらってきた。
講師2人から、今までの講座の時のようすを聞かせてもらった。
まあ、講座の時はまじめに、積極的に取り組んでいたようである。
半年しか続かなかった、と思うのはやめよう、
親の当初の不安とは裏腹に、半年も続いたのだと考えよう。
これだけでも、名古屋まで通って行動範囲を広げたこと、
いろいろな意思表示を自分でできるようになったこと、
さまざまな年齢の人たちと交わったことは、それなりに意味があるだろう。


以下はついでの話である。
久々に昼前に名古屋に出たので、メルサ地下の熊五郎ラーメンに寄った。
夢にまで見たみそラーメンも、以前のような味でないような気がした。
よくよく味わってみると、ショウガがきつすぎるような気がした。
ショウガにみそのうまみがかき消されているようだ。
しかも、体の芯からほこほこ温まってくるようで、暑くてしょうがない。

夕方、帰宅してから、仕事を2つばかり片づけ、
フォントのインストールをしたり、先日買ったスキャプリをつないだりした。
やっとこのG4機も、不自由なく仕事できる環境になってきた。
動作は実に素早く快適だし、まったくありがたいことである。


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