| 2003年07月29日(火) |
無意味な仕事のひとつ |
きょうから指導要録なるものを書き始めた。 学年末に書くものではあるが、1年生の担任をすると、 組・番号・名前や住所、保護者名、出身中学、入学年月日など、 基本的なところは早めに書いておかなければならない。 何年か前までは5月中に書け、と言われていたもので、 ある年などは、4月末に前年度分を書き終えて、 5月のGWの間に新年度の新入生分のこの作業をしたこともある(笑) 部活動の吹奏楽の定期演奏会を4月の下旬に開いたので、 前年度分をそれが終わるまで書けなかったのだった。
それにしても、きわめて無駄な仕事である。 すべてが、とは言わない。 組・番号・名前は書いて、成績や出欠席の記録も残しておいてもいいだろう。 在学中の特筆すべきことがあれば、いいことも悪いことも、 ありのままに記録しておいていいかもしれない。 特になければ書く必要もない。 ま、あれば書いておいてもいいかもしれない、という程度である。 最低限の記録でよい。
けれども、それも実はぜんぜん必要のないものだ。 データはほとんどPCに記憶させてあるし、それを印刷したものもある。 3年生の時に調査書を書くから、それを卒業後一定期間残せば十分である。 何も仰々しく高価な紙で用紙を作って、20年以上も保存することはないし、 そんなにいろいろなことを神経使って記入する必要もない。 本質的に必要のないもののために、時間をかけて丁寧な仕事をするのはばかばかしいことだ。
たとえば、住所の記載は、住民票の記載の通りに、などという注意があるが、 なぜそんな必要があるのだろうか? 住所がどこかなんて、学校生活の記録としてはどうでもいいことじゃないか。 本人の名前の読み方はともかくとして、 保護者名のふりがなまで必要なのはなぜか? 本人を特定するためなら、名前の横に写真でも貼り付けておけばよい。 住所や保護者名にこだわる理由がさっぱりわからない。
最もアホらしいのが、生徒所見欄というやつである。 ますますこの欄が増加しているのだが、医者のカルテのように、 在学中の指導の資料として記録するために書くのならわかるけれど、 差し障りのないことを書くように、というお達しがある。 じゃあ、これは何のために書くんだい??? ということになる。
結局は指導要録など何の役にも立たないものだし、形だけのものである。 そんなものに、書式上の厳密なルールがある。 アホらしくてたまらなくても、自分ひとりが書くことをボイコットしても、 学校全体の運営に支障が出るので、無視するわけにはいかない。 それは、複合選抜制度断固反対!と掲げて 入試業務をボイコットしようとしたけれど、そんなことをしたら、 他の教員に余計な負担が行ってしまうのでボイコットできなかったのと同じである。
学校という職場にも、とにかく無意味で無駄なことが多い。 旧態依然としたものをそのまま残して、新たなものをつけ加えて行くから、 ますます無駄と煩雑が蔓延していくのである。 4、50年も前の時代ならともかくも、 もう今の世の中には、あんな帳簿など必要ないのだ。 PCから3年間のデータをまとめて、CDに記録しておけば十分である。 後でまんいちひつようになったときにでも、 それをもとにデータを抽出して個人データを作るくらい簡単なことである。 呆けた石頭のお役人には、そんな発想の転換はまったくできないらしい。 教育基本法は容易に変えてはいけないけれども、 学校教育法のそういう実際的なところは改正してもいいのである。
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