TENSEI塵語

2003年06月27日(金) 煙草にまつわる思い出

来月から煙草が値上げだといって、サークルKが注文販売までしていた。
今までも値上げのたびに買い占め作戦を考えたものだが、
あちこち回って買い集めるのも難儀なのでたいていは断念していた。
かといって、この機会に禁煙!、、などという気にはなれないものである。
この親切な作戦に乗って、20カートンを手に入れた。
他にも5カートンほど買いだめしてある。
これでもやっとこさ5千円の節税に過ぎないし、
せいぜい3カ月もつだろうかという程度の買い置きである。
つくづく煙草というのは無駄遣いだと思うのだけれど、
そういう実感と、やめるやめないはまったく別次元でしか考えられない。
案外、買いだめの在庫がまだたくさんあるというのに、
突如として禁煙を思い立つ、なんてこともあったりするもんだし。。

思い起こしてみると、もう40年近い前の我々の子ども時代など、
かなり家計の苦しい時代だったはずなのに、
私の父も、父の知人たちも、ほとんどが愛煙家だった。
私が小学生だったころ住んでいた郡上八幡の町営住宅の、
狭い四畳半二間に、わりと頻繁に来客があった。
客の種類にもよるが、たいてい子どもも同席のような恰好で、
煙草の煙に包まれていたものだ。
モクモクと漂う煙の中にフーーーッと息を吹きかけて、
煙を動かして楽しんだりしていた。

当時よく目にした煙草は「いこい」「しんせい」などだったが、
時々「ピース」なども置いてあった。
缶ピースの蓋を開けたときの臭いには、何となくロマンを感じたものだった。
けれども、子どもの思いとしては、あんな煙たいものはかなわん、
好んで吸うやつらの気が知れん、という思いの方が強かった。

高校時代に、毎朝美濃町線の電車に乗ると、
まだ空いている電車の中で数人のおっさんたちが煙草を吸っていた。
あのころは、電車の中でもおかまいなしだった。
その数人のおっさんたちは、たいてい「エコー」を吸っていた。
私はそのころ鼻炎に悩まされていたので、早朝のこの煙幕には参らされた。
軽トラックの青っぽい排気ガスや、大型車の真っ黒い排気ガスと同様、
実に忌むべき諸悪の根元のような存在に感じられた。
けれども、嫌煙権などという言葉はまだ耳にしない時代だった。
このころの私には、喫煙など自分とはまったく縁がないはずだった。

大学の1年の時に、仏文科の友人たちと酒を飲んで、
それからどこに行くかとなったときに、そのうちのひとりが、
先輩のマンションに行って飲もうと言い出して、ゾロゾロと移動した。
その先輩というのはW大の学生で、我々のほとんどは初対面なのに、
結局そのマンションで大騒ぎしながら朝まで飲んでいたのである。
その時に、そのW大の先輩が悪のりして、パーッと全員に煙草を配って、
雰囲気をワイワイ盛り上げながら、火をつけて回ったのである。
もぉ、こいつ、とんでもないやつだー、と思いながら、
私も酔って浮かれていたから、ま、くわえるだけ、と座興に交わった。
この時の2、3本が、意外にも、うまいと感じられてしまったので、
そのまま愛煙家に加わることになってしまったのである。
20歳の誕生日の1週間前のことだった。


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