報復攻撃よりも、平和のための話し合いだ、対話だ、と誰もが思う。 そんなことはわかっているし、それができていればこんな長い流血の歴史もなく、 今回の残虐なテロも起こらずに済んだわけである。 私が今回驚いたのは、どうしてここまでしなければならなかったのかということであり、 ますます再燃しそうな激しさに、中東和平の困難さを永遠の堂々巡りのように感じたのである。
ちょうど山崎雅弘という人の「中東戦争全史」が発売されたので、昨日から読み始めた。 昨日は最初から読み始めたけれど、今夜は終わりの方だけ先に読んでみた。
一昨年イスラエルの首相となったバラクは、去年の7月に中東首脳会談に臨んだ。 その際に、3つの大きな譲歩案を用意していた。 1、ヨルダン川西岸地域からのイスラエル軍の撤退 2、パレスチナ難民の帰還権 3、ガザおよびヨルダン川西岸地域でのユダヤ人入植者の削減 ところが、第4の争点である東エルサレムの帰属問題に関して、 アラファトはバラクへの妥協を拒否し続け、会談は決裂した。
イスラエル国内でのバラク政権への批判が高まる中、去年の9月には、 バラクは、エルサレム分割を容認する、という大きな賭けで事態収拾しようとした。 ところがちょうどそのころ、野党リクード党の党首シャロンが この東エルサレム内を視察訪問しており、この態度に反発したパレスチナ人により、 1週間の投石事件が起こり、バラクの分割案も空手形のごとくなってしまった。 争いが再燃し始めたので、バラクは首相を辞任し、首相公選に踏み切った。 この選挙で再び勝って信任を得た上で和平交渉に臨もうとしたのである。
ところが、イスラエル国民は、バラク政権の実りのない譲歩和平に嫌気がさして、 今年2月の選挙ではシャロンに圧勝させてしまった。 和平交渉は棚上げとなったばかりでなく、 「ハマス」「イスラム聖戦」などのパレスチナ過激派組織は、シャロンの強硬姿勢に反発、 アラファトを「弱腰」と決めて、独自に無差別テロを再開する。 3月以来自爆テロとそれに対する報復攻撃がくり返されてきたわけである。
6月に、アラファトはようやく「停戦実現のための努力」を声明し、 シャロンは、報復回避のための「パレスチナ側が行うべき3条件」を示したが、 パレスチナ自治区の「ハマス」等の13団体は、闘争継続で一致していた。 米大統領ブッシュは紛争拡大を懸念して、CIAのテネット長官を派遣し、 シャロン、アラファトと今後の対応を協議させた。 この交渉開始と共に、紛争は沈静化したかにも見えたのだが。。。
・・・第9章の途中まで要約してみたが、新聞で断片的に読んでもぜんぜん脈絡がなくて、 いったい彼らは何してるのか、とわけがわからなかったところが、 ちょっとだけつながって見えるようになったという感じである。
対話だ、話し合いだ、というのは易しい。 おそらく、どちらかが大いに譲歩すれば案外簡単におさまるものなのだろう。 けれども、個人と個人の問題ならともかく、民族単位・国家単位で、 利害をまったく捨てた譲歩など、本当に可能なのだろうか。 バラクの最後の譲歩案、エルサレム分割で、事態は安泰になったはずなのだろうか。 どう話し合えば平和が訪れるのか、、、それが問題だ。 そもそも1番悪いのはイギリスだ、何とかしろぃ、と言うのは簡単だ。 けれども、「あの時は悪うございました、あの前に白紙に戻して、、、」なんてわけにもいかないだろう。
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