TENSEI塵語

2001年08月29日(水) 続・京都に行った

嵯峨野では、二尊院にだけ入ってみた。
10数年前、妻と来たときにここは拝観しなかったためでもあるし、
その時に確かここで見た手書きの百人一首がまだ売っているだろうか、と
思ったためでもあるが、残念ながら見つからなかった。
あの時、字も絵もすごく味わい深く思われて、欲しくてたまらなかったけれど、
2万9千円という値段を見たら、躊躇してやめてしまった。
ずっとそのことを後悔しているのである。。。

ところで、二尊院に入って、歩き始めてすぐに後悔してしまった。
坂と階段ばかりである。そして、あるものといったらお墓ばかりである。
もともとかんばしくない足に大ダメージである。
それでも、立て札に「百人一首選定の時雨亭跡」とかいうのを見て、
長い階段を登り、熊か猪でも出そうな山道を歩いて淋しい場所に行き着いた。
平たい石が積み上げられただけの跡に、小銭がいくつものっている。
まぁ、ここに来たのもムダではない。定家の選定の話を読んだときに、
こういう場所だったのだというイメージは浮かべやすくなるわけである。
それからぐるっと回って、坂道を降りて戻ったのだが、実に長い厳しい下りだった。

境内の茶店にたったひとりで腰かける気はしないので、喫茶店を探すかなと思っていたら、
出たところに自販機があって、そこにベンチも置かれていた。
実にありがたいことだと、座って脚の疲れを癒すと、風がとても快かった。


Fクンと会ってから連れて行かれたのは、京大の近くの寿司屋だった。
京大の大学院に入って、初めて行った店なのだという。
その後で、哲学の散歩道も歩きたいという。
最近、こうして20年前の思い出の場所を訪ねたくなっている、という。
私など20年も経たないうちから、そんなことをしているから気持ちがよくわかる。
彼の場合、研究分野を新たに開拓しようと思っているから、一層そうなのかも知れない。
6、7年ぶりの再会なので、とりとめもなく断片的な話を続けているうちに、
9時近くになったので店を出た。それから、哲学の道をしばらく歩いた。
淋しい場所に入って行くばかりなので、電車に間に合うようにタクシーが拾えるか、
不安も感じたけれど、彼はいつもそつのない人間だったので、任せてついて歩いた。
この道も、10数年前に来そびれたところなのだった。
・・・ちなみに彼はその後のメールによると、そこで私と別れた後、
銭湯に寄って夜行で帰ったそうである。その銭湯も昔通っていた銭湯なのだろう。。。
彼のやることはやっぱり徹底している。
私の以前の回顧の旅では、さすがに銭湯までは思いつかなかった。

考えてみれば、9時に飲み終わって、それから散歩して、
翌日にならないうちに、その日のうちに帰宅できるほど京都は近かったのである。
9時50分の新幹線に乗った。それでも、午前0時前には家でのんびりできるのだ。
羽島の駅で20分以上待たされた。
一緒に降りた客も多いけれど、みんな駐車場に入っていって、駅で待つのは私ひとりだった。
発車時間近くなって、ホームに上がってゆくと、車掌がベンチで雑誌を読んでいた。
一番前の車両に歩いてゆく間も、他の乗客は見なかった。
乗るとすぐに発車となり、たったひとりのために4両電車が動き始めたわけである。
ふっと、千尋の乗った電車を連想した。これ、どこに行くのかな、と非現実的になった。。。
・・・岐阜に着いて降りて、背後を見たけれど、やはり誰も降りる人はなかった。
本当に乗客は自分1人だったのだろうか、、、ということは、
私がきょう京都に行かなければ、この電車は空っぽだったのだろうか、、、
そう考えると、これも何か不思議なめぐり合わせのような気がしてくるのだった。


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