前に行ったのはいつかよくわからないが、10数年ぶりだったかも知れない。 今は鎌倉にいる大学時代の哲学仲間だった(先生だった、というべきか)Fクンが、 京都で飲もう、と言ってきたので、久しぶりに思い切って出かけることにした。 こんなお誘いでもないと、なかなか出不精の尻は持ち上がらない。 しかし、半日あれば十分散歩して帰ってこられるのだということがわかった。 遠かったのは精神的な距離だけで、いつでも行ける範囲にあるのだった。 新岐阜で11時半に乗って新羽島まで約30分、それから新幹線で40分。 車だとどれくらいなんだろう? 高速だけで1時間半くらい見ればいいだろうか。。。
Fクンとの待ち合わせまで3、4時間ほど散歩、と予定したときに、 まず広隆寺の菩薩さんに会いに行くことと、そこから嵯峨野の散歩と決めた。 まず、太秦に行こうとして、大失敗してしまった。 京福電車が四条の通りを走っているという風に地図を見間違えて、 地下鉄の四条で下りたら、そこには阪急電車の駅しかなかった。 京福電車は四条大宮が始発なのだとわかって、そこで阪急に乗ればよかったのに、 1駅だけならばと、歩き始めたら、それが意外と長い距離でまいった。 ただ、この通りは車がかなり渋滞しているのをずっと見て歩いていたので、 車で来たときにはこの道に紛れ込まないようにしようという教えにはなった。
京福電車は路面を走ったり民家の間を走ったりする一両の電車である。 確かにこれに乗った覚えがある。十数年前、妻と奈良を回ったついでに、 広隆寺と、当時Fクンが住んでいた太秦のアパートを訪ねるためにこれに乗った。 でも、あの時どうやってこの駅まで来たのか、まったく思い出せない。
しかし、まあとにかく、太秦に着いたのである。 駅前に、もう広隆寺の大げさな門がでんと構えているのである。 数年前から、もう1度会いたい会いたい、と願っていた相手がこの奧にいるのである。 門をくぐりながら、デートの待ち合わせみたいにドキドキし始めたりしてね。。。 広隆寺の境内というのは独特の色合いである。 不思議な色に古びた木材と白壁の配色が独特な雰囲気を出している。 これが、あの不思議な美と対面する予兆にもなるのである。 そして、どの建物の前にも立ち寄ることなく、霊宝殿に直行する。 早く会いたい気もするし、会うのがこわい気がするものである。 そうして、いよいよ霊宝殿に入ってぐるりと見回して、少々がっかりした。 また陳列のレイアウトが変わっているのである。 祭壇のようなものが作られて、その上に半跏思惟像が安置され、 その祭壇の前に頑丈な柵がずっと長く置かれている。 離れてしか見えないし、真横から見るなんてこともできない、今まで最悪の状態。 けれども、フロアの中央に畳が縁台代わりに2つ置かれていたので、 そこに腰かけて、ゆっくりとのんびりと眺めることができた。 ときどき、まわりの他の仏像や、背後の千手観音などにも目をやったりしながら。 ・・・やはりこの半跏思惟像は卓越している。 表情といい、右腕の線といい、手の動きといい、やはりそこに生きているようだ。 その思惟天上に至る、という感じがするのも、あの姿勢と表情のせいだろう。 途中でポケットの電話が振動し続けたけれど、それを無視して2、30分眺め、 外に出て、電話の相手と仕事の話を済ませ、嵯峨野に向かった。
終点の嵐山まで行くつもりだったけれど、その前に嵯峨駅前という駅があるのを知って、 これは探すべき待ち合わせ駅の山陰線「嵯峨嵐山」駅の傍かも知れないと、 急遽そこで降りた。おかげで、待ち合わせ駅は簡単に見つかったけれど、 嵯峨野までかなりの距離を歩かなければならなくなったし、 嵐山方面まで足をのばす時間はなくなった。とにかくぶらぶら歩いた。 脚がパンパンに張るほど疲れた。
きょうはここまで。。。
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