2001年08月18日(土) |
「出口なし」上演の思い出 |
週刊朝日百科「世界の文学」のサルトルのところを読んでいたら、 「出口なし」の写真も1枚載っていて、「出口なし」上演のころを思い出した。
上京して上智大に通うなんてこと自体、大それた奇跡みたいな境遇だったのに、 ギターアンサンブルという地味〜〜な音楽サークルではあったけれど、 そこで指揮者という大役に決まって間もなく、 仏文科恒例のフランス語劇で「出口なし」をやろうということになって、 次は自分が主役と決めている友人と話している内に私が演出ということになったのだった。 それ以外にこの企画の中心人物がいなかったからに他ならない。
恒例のフランス語劇は、だいたい軽い喜劇を上演するのが普通だった。 前の年は、教授の奨める喜劇で1年生の優等生たちが集まって上演した。 これはすごいことである。何しろ、1年生ばかりである。 私はとにかく劣等生だったので、加わってはいなかったが、 演出をしていたのがさっき出てきた友人Mだったので、 音楽の方を頼まれた。劇中歌の伴奏作りである。 楽譜は台本に付随していたので、それを誰かに弾いてもらって録音する仕事だった。 ギター部の方でピアノを弾ける子を見つけて、録音させてもらうことにした。 その時に、クライマックスの曲がありきたりで終わっていたので、 最後に少しだけ華やかになるように終止部をくっつけてもらった。 そのテープを聴いた演出家のMは、怒って、余計なことをするな、と言った。 最後は暗転で終わるのに、これでは暗転に合わないじゃないか、と言うのである。 で、私は、とんでもない、とばかりに、幕をスルスル閉めるべきだと主張した。 最後の短い後奏の間に左右から幕が閉まって、 最後の音が鳴るころには幕が重なってゆらゆら揺れていなければいけない、と言った。 ・・・ところが、大学のその講堂には、幕は常備されていなかったのである。 彼は渋々スタッフたちと幕の取り付けにかかった。大変な重労働だったらしい。 おかげで余計な仕事をさせられた、と不平たらたらだった。 音効を頼む相手を間違えたね、と私も冷ややかに応対していた。 私としては、こういう喜劇を歌で終わりながら、しみじみ暗転で終わるなんてのは、 いったいどういう神経してんだか、、、とかえってアホらしく思っていた。 ところが、舞台稽古が一通り終わると、いきなり彼が大笑いし始めたのである。 誰かがおもしろい仕草でもしたのかな、と思っていると、 「ホントに、これは喜劇だ」と幕が閉まるのを見て大喜びしたらしいのである。
この一件で、私に演出の大役が回ってきたわけである。 それから何をやろうということになったときに、何と「出口なし」で意気投合したのである。 無神論実存哲学者の絶望のドラマを、カトリックの大学で上演しようというのである。 しかも、このやや難解な戯曲を、原語のままでやろうというのである。 けれども、私としては、原語でやるなら、従来の喜劇路線よりも、 この「出口なし」の方が、原語を知らない人にも楽しめると踏んでいた。 象徴的な演劇なので、図式と音楽性(台詞の)で伝えられるだろうと思っていた。
問題はまず、教授の許可を得られるかだったが、許可を得られたばかりでなく、 F神父は例年通り、しっかり判読テープを録音してくださった。 1番の困難は配役で、たった4人の配役がなかなか埋まらなかった。 前の年のメンバーは、裏方ならばと残ったものもいたけれど、 配役からは全員逃げてしまった。 主役ガルサンはM、ちょい役のガルソン(ボーイ)はしょうがないから私が兼任、 3年生からひとり申し出てくれた人がいて、その人がエステル役、 問題のイネス役がいないのである。同学年にあたってもぜんぜんダメ。 なかなか活動を始められず、絶望的な状況が続いた。 ところがある日、Mと講義に出ていたときに、 斜め前方に適役の雰囲気の女性を見つけたのである。 髪の長い目の大きな細面の、ちょっと冷ややかな雰囲気の女性。 「あの人、どうだ?」とMに言うと、「ぴったり!!」と同調する。 でも、こういう雰囲気の人が、こういう話に乗ってくるわけがない。 藁にもすがる思いという勢いで、講義終了後、声をかけてみた。 案の定、冷ややかな反応である。フランス語劇なんてまったく興味ないわ、という。。。 「何やるの?」 「サルトル。出口なし」 「・・・サルトル?・・・魅力的ね。。。 考えさせて」 こうして彼女も加わり、苦渋の末、やっと練習にはいることができたのだった。
この話はまだ続くが、「出口なし」についても、読書のコーナーにUpしておこう。
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