2001年08月19日(日) |
ついに「リング」を見た |
まぁ、ホントにここまで、どれだけためらい、覚悟を決めたことか。。。 とにかく、ホラー・怪談の類はキライなのである。 恐いもの見たさ、なんて感情も普通はまったく起こらないのである。 表紙とかカバーのデザインを見るだけで、嫌悪感で満たされてしまうのである。 (だから、「リング」3部作の本も、本屋のカバーをかけっぱなしにしてある) で、どのように見るかについても、いろいろと思い悩んだのである。 夜は絶対にやめよう。真っ昼間でも、ひとりで見るのはイヤだ。 でも、誰を引きずり込もう? 家族は絶対に、誰も一緒に見たがらない。 卒業生の誰かをつき合わせようかと考えたりもしたし、 DVDを買って、公園の真ん中でノートPCで見ようかとも考えたりもしたけれど、 覚悟を決めて、きょうの午前中にこの部屋で見ることにしたのだった。
でも、そんなに大がかりな心がまえをすることもなかったのだ。 原作を読んだとき、伊豆のロッジで浅川がビデオを見る場面が1番不気味だった。 読んでいるだけでその生々しさが、自分の手元にも、部屋全体にも、 じわ〜〜っと漂ってくるような異様な雰囲気を感じた。 こんなのが映像で再現されたら、しかもそんなのをこの部屋で見たら、 しばらくはこの部屋で過ごすこともできなくなるんじゃないかと恐れていたのである。 けれども、謎のビデオは意外とあっさり作られていて、 浅川の、見てしまった、という恐怖感、それから不気味な存在の仄めかし、 そしてすぐにかかってくる電話、、、という具合に、 心理的な恐怖でこの場が簡単に終わってしまった。 後は、いつ恐怖の映像が突然出るか、それをヒヤヒヤ警戒しながら見るわけだが、 あまりこれといったこともなく、迫り来る死の恐怖と底知れぬ謎の雰囲気で、 とりあえずの事件解決まで進んでいってしまった。 最後の方で、高山竜司の死の場面で、テレビから貞子が出てくる怖い場面があったが、 すごいアイデアではあるけれど、原作を先に読んだ者にとっては、 こういうのはやめて欲しい気がした。 ・・・でも、こんな場面がひとつでもないと、ホラー映画にはならないのだろう。
原作の浅川は離婚した子持ちの女に設定され、離婚した夫が高山竜司に設定されている。 だから、元夫婦が、忌まわしいビデオの謎を解くために奔走することになる。 これは、実にうまい設定だと感心した(ただ、離婚の事情が定かでない)。 その効果がもっとも発揮されるのは、井戸の底で貞子の骸骨が現れる場面である。 貞子のが遺骨をうっとりと見つめ抱きしめる菜々子さんの表情を、 我々もまた、うっとりと見つめることになる。 死期の迫った朝、伊豆のロッジへ井戸の解明に向かう前、 子どもに電話で話す場面でも、ついつい涙ぐまされてしまう。。。 最後の最後、わが子を救うにはダビングをして人に見せるしかないことに気づき、 覚悟を決める時の恐ろしく美しい表情も、やはり女性にして正解だったわけである。
さ〜て、この「リング」でしか見られない菜々子さんの魅力に再会するためには、 またこの映画を見なきゃいけないわけだが、それはまた億劫な葛藤になりそうだ。 ちょっと厄介なことだけど、でも、やっぱりまた見るだろうな。。。
ところで、これが「らせん」に続くものだとすると、 この映画の中で浅川がレポートを書いている場面がまったくなかった点が気になった。
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