TENSEI塵語

2001年08月16日(木) 「ザ・ハリケーン」を見た

橋本さんのカキコに刺激されて、さっそく借りてきて見た。

冤罪で投獄された黒人ボクサーの無念の思いが入念に描かれていて、
その手記を読んで感銘した黒人中学生との交流があり、
そしてその少年を引き取って育てる3人の白人男女の命がけの再審運動を経て、
裁判に勝訴、解放という感動のドラマである。

殊にこのサム、テリー、リサという3人の存在が魅力的である。
格別善人ぶっているわけでもないし、正義感に燃えているわけでもない。
それがこの黒人少年レズラの教育のため、引き取ってめんどうを見ている。
それだけでなく、ついには刑務所の近くに移住して、再審請求の準備をする。
「釈放までカナダに帰らない」「一緒に帰るのよ」とハリケーンを励ます。
この静かな人道家たちは、いったいどういう人種なんだろう。

そういう中で、いかに捜査や裁判の中に、偽証・改竄や、暴力・弾圧などが
介入しているか、浮き彫りにされて行く。
新しい証拠や裏付けを捜査する4人にも、殺意が向けられる。
正義も何もあったものではない。
不正に投獄された者が生きるには、外のことを忘れるしかない、
外の世界を求めたりしたら耐えられなくなる、この理不尽な境遇。

残念だったのは、最後の大切な裁判の場面である。
州の裁判所では今までのような圧力がかかって結果が変わらないだろうからと、
連邦裁判所に再審を求めたところ、順序が違う、と裁判長は真剣な対応をしない。
しかし、ハリケーンの要求で裁判は続行される。
ところが残念なことに、この裁判の場面にドラマがないのである。
通り一遍の観念的な弁護士の弁論がある。それだけで次に進んでしまうのだ。
そうではない、ここでは、もっと弁護士が頑張ってもらわなきゃいけないのだ。
新証拠を提出すると、検事側や警察側に反応がある。裁判長にもある。
そういう説得力ある弁明を経ても、裁判長の基本的態度は変わらない。
そこへ、あのハリケーンの「正義」についての静かな弁論が入る。
こういう風にドラマを運んでくれると、判決にも説得力が増す。
ところが、裁判の場面が簡略すぎて、この「正義」についての演説も重みを欠くし、
釈放の判決もあっけないほど唐突に感じられるし、
今までの苦渋の歳月も、つまらないほど軽んじられてしまい、
ハリケーンが空を眺める場面の感動も形だけのものになってしまう。

実に残念な、惜しい作品であった。


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