2001年08月12日(日) |
「スパルタカス」を見た |
一昨日、「ベン・ハー」のDVDの発売予定日だったので買いに寄ったついでに、 「スパルタカス」も見つけた。 橋本さんが「スパルタカス」が1番、「ベン・ハー」よりも「スパルタカス」と 言っていたので、それを信頼したのである。 長年探し求めていた第3位の映画がこれで見つかるだろうと期待もしていた。 でも、何か物足りなさがあった。それがなぜか、よくわからない。 ラストでは少し泣けたけれど、一昨日の晩見た「ノッティングヒルの恋人」 の方が泣けた。 全体を見たら「ノッティングヒル」よりもうんといい映画である。 3時間余という長丁場に、飽きを覚える部分があったわけでもない。 テーマも好きなテーマであるはずだ。 「我々は、この世にある限り真実のために闘わねばならない。 我々は兄弟なのだ。そして、自由なのだ」 けれども、何か物足りなさを覚えた。 奴隷身分というものがどれほどのものか、描ききれてなくて、 反乱への原動力というものがちょっと薄かったかも知れないな、とも思うし、 最後には負けても、ローマと闘えたこと自体に意味があるという点もちょっと薄い気がする。 ラストに奇跡的な救いと希望があるとはいえ、悲劇だから今ひとつなのかも知れない。 戦闘シーンに重点が置かれる映画は、どうしても私好みでないのかも知れない。 音楽の出来がよくないせいかも知れない。 このあたり、後日もう1度見て、よく考えてみたいと思う。
1番の疑問点は、反乱のきっかけとなった決闘場面で、 スパルタカスの相手をした奴隷が、スパルタカスを殺さずに、 クラサスに槍を投げて反逆行為に及んだことである。 (あの奴隷は、風呂場の場面で、名前など聞かない方がいい、 決闘場では殺し合うことになるのだから、と答えた男ではなかったか?) その気持ちをいろいろ推測することは容易にできるけれども、 ドラマの説得力という点では惜しいところである。 反乱への契機として大事なところだけに、こういうところをきめ細かく描いてほしいものだ。 もちろん、すべてが辻褄合って論理的でなきゃいけない、という意味ではない。
こういう疑問を「シンドラーのリスト」にも抱いていて、 シンドラーがいつごろから、どうして慈善家に変貌するのか、 どうもよくわからないところがあった。 あれも、もう1度じっくり見てみないとまとめが書けない。
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