自民党の勝利はとうに予想がついていたが、むしろ予想を遙かに下回る勝利というべきだ。 投票率も、予想を遙かに下回っている。 (あくまでも、政治に疎い私の予想に過ぎないのだが) 「自民票」の理由によくある「改革への期待」というのも、 「改革」によって何を期待しているかがまったく不明だ。 「改革」提唱者が何も具体的に語っていないのだからあたりまえだ。 参院選前に明らかにしないところを見ると、 よほど庶民にとって具合の悪いことなんだろうと勘ぐらずにいられない。 とある店のマスターの新聞での談話、 「還暦になったとき、少しでも暮らしが楽になっていてほしい。 今回は小泉さんに夢を託してみます」 なんてのを読むと、こういう人たちがだまし討ちに遭わなきゃいいが、と不安になる。
それよりも、夕刊を読んでいて、新聞の記事に気になるのがあった。 思い過ごしかも知れないが、大きな流れの中の小さな動きでなければいいが、、、と。 それは、「比例区で逆転現象」という見出しの記事である。 31万票でも落選し、2万4千票でも当選することをやけに強調している。 これを読んで、さっそく「比例区はおかしい」と投書する人がいることだろう。 新聞のすべきことは、この点を指摘した上で、 比例区は政党への投票だからこれはおかしくない、ということを教えることだろう。 個人名に投票するのは、政党内での当選者の優先順位を決めるためで、 政党別の得票数と議席数を見れば、なにもおかしなことはないのである。 個人得票数の逆転現象なるものは、この意味では一種の錯覚である。 それ以上に、この新方式によって大儲けした政党があることの方が問題だ。 マスコミに名を売って人気取りに終始した人を取り込んだ政党が勝てる。 選挙がだんだんと横道に外れてゆく。。。 けれども、新聞が書いているのはそんなことではなく、 個人得票数が少なくても当選できる矛盾という誤った見解、 比例区の本来の意味を忘れさせようとするような見解なのである。
こんなことが気になるのは、ひとつには、地方区よりも比例代表と思っているからである。 地域がお世話になっているから、といっては 汚職犯罪人でさえ政界に復帰させる地方区よりも、 政策論議の上での政党選びをする比例区の方がより妥当性がある。 個人名でも投票できるようになったのは、 名簿の優先順位を政党任せにしないという点でいいと思ったけれど、 候補者の立て方がちょっと邪道に陥りつつある。 (私的には、最高得票の人名を見ると、アホらし、と吐き捨てたくなる) またひとつには、この新聞記事の書き方を見ると、 マスコミがますます右傾化に荷担し始めているかな、、と懸念するからである。
まあ、とにかく、いろいろとだまされないように気をつけたいものである。
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