2001年07月19日(木) |
「リング」から「らせん」へ |
「リング」は昨日の夕方読み終えた。推理小説としてとてもおもしろかったので、 ついつい寸暇を惜しむように読み継いだ。 登場人物が得体の知れないものを生身で感じる部分の描写がうまい。 読んでいるうちに、この部屋の中まで登場人物のいる部屋の異様な世界に 変貌しているような臨場感に包まれる。 けれども、横溝正史のように、何から何まで怪しげなムードの中に引き込むわけでないのは、 やはり、舞台装置も小道具も、現代そのままで勝負しているためだろうか。 このあたり、両者を比較して速断すると、横溝正史の場合には、 全体を妖しい雰囲気に彩りながら、最後には合理的に決着するのに対して、 この「リング」の作者の場合は、そんな不思議が起こり得ないような現代を世界の中に、 不可思議で霊的なものの力を敢えて描ききっている、ということになる。 だから、いっそう恐ろしく不気味な何ものかが読後に残ることになる。 ただ、この「リング」の場合、その霊的な力とその「増殖」が、 「ビデオ」とか「ダビング」というものに託されたのが、 どうも釈然としない、ばかばかしくがっかりするような印象に終わった。
それでも、主人公の妻子の運命も気になるし、どうしても続編を読まねばならなくなって、 昨日の帰りに本屋に寄って、「らせん」も「ループ」も買った。 「らせん」を読み始めると、「リング」よりもさらに密度の濃さが感じられる。 生物学的・医学的知識も一般人には難解な次元にまで踏み込んでいる。 暗号解読の世界にも入り込む。 医学者たちが直面する不可解な医学的現象。 ビデオテープから発散したと思われる恐ろしい空気。。。 こうすればこうなるではすまないような執拗でまとわりつくような「念」の力が、 だんだんと深まってきて、「リング」で残ったばかばかしい印象も薄らいで行く。。。
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