たりたの日記
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ここの病院では、毎週木曜日の午後に音楽療法の時間が組み込まれている。15時から15時40分までの40分間は、その時集まってこられた患者さんや、すでに退院された方、また時には医師も加わり、みんなで歌を歌う「うたの広場」という時間で、その前後には、ボランティアの方々によるオカリナ演奏があり、その演奏が、これまから歌の時間が始まりますよ。これで歌の時間が終わりますよという合図にもなっているという事だった。 また、午後1時半から午後5時まで、音楽療法士から30分の個人療法も受けられる事になっている。
わたしの歌の好みはグレゴリオ聖歌とかルネサンス期の歌、せいぜい唱歌や童謡くらい。歌の広場への参加には始め躊躇があった。 実際、1回目は、ご高齢の方が多く、はじめは聞いたことのないような演歌がリクエストされ、とても楽しめないなと思っていたところ、唱歌や童謡もリクエストに出てきて、久々に声を出して歌う事ができ楽しいと思った事だった。なんとなく知ってはいても、歌詞を見ながら歌ってみるとこんな歌だったのかという発見もあり、子ども時代や若い頃の景色が目の前に現れてくるのも不思議だった。 2回目の参加の後は、個人のセッションをお願いして、それは沢山ある歌集の中から、かつて夢中で歌っていたグループサウンズやフォークソングをリクエストし、歌わせていただいたりし(病人らしくない、熱唱だったかも)その歌にまつわる思い出を聞いていただいたり、グレゴリオ聖歌を学んでいる話など、音楽に関することを療法士と話す事ができ、よい時間だった。
そして、3回目の今日、「歌の広場」の時間を待って、ベッドで本を読んでいると、何と、2年間、グレゴリオ聖歌を教えていただいたW 先生が病室にお見えになった! ここの病院の事は、前に突然お訪ね下さった、同じ受講生のSさんからお聞きになったという事だった。
W先生から教えていただいたグレゴリオ聖歌のテキストは入院の度ごとに持ち歩き、とりわけ、聖務日課の寝る前の祈り(コンプレトリウム)の3曲は毎晩、就寝前に小さな声で歌っている。
W先生からは、前の病院に入院していた時に、そちらに出向くので、一緒にグレゴリオ聖歌を歌いましょうとメールをいただいていたが、体調が落ち着かず、瞑想室に出かける元気もなく過ごしていたので、体調が良くなったらご連絡しますとメールをしたままになっていたのだった。
音楽療法士には、グレゴリオ聖歌の学びの事も話していたので、W先生を「歌の広場」にお誘いし、みんなで歌う前に、 Salve,Regina (元后あわれみの母)という、マリアの賛歌を先生と一緒に歌わせていただいた。 もう一度、ご一緒にグレゴリオ聖歌を歌いたいという願いが叶い、それを、患者さんや、スタッフの方々に聞いていただけたという事は本当に得難い、幸いな時だった。
その後の時間も、月の砂漠、野ばら、サンタルチアなど、いくつかの歌もご一緒に歌っていただき、ハーモニーもつけて下さり、思いがけなくも豊かな歌の時間が流れたのだった。
そうして、もうひとつ、不思議な出会い、わたしの唯一のエッセイ集「育つ日々」の「月夜の田んぼで」というエッセイの中で、カエルの音が不気味な夜の川辺を歩く時、決まって父が歌ってくれた「月夜の田んぼで」という歌が、オカリナの演奏で流れ出したこと。 オカリナ奏者の方から楽譜もいただくことができた。 父の歌以外では聞いたことのなかった幻の歌との再会!
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