たりたの日記
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2018年07月04日(水) 「最上のわざ 」 長岡輝子さんの朗読

最上のわざ   
      作者未詳 ヘルマン フォイヴェルス訳



この世の最上のわざは何?


美しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう―。


若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること―。


老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後のみがきをかける。

まことのふるさとへ行くために―。


おのれのこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事―。

こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。


神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。

それは祈りだ―。

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために―。


すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と―。





長岡輝子著
  「老いてなおこころ愉しく美しく」 草思社 より





2001年7月23日の「たりたの日記」にこの詩のことを書いている。
あの時、聞いた長岡輝子さんの朗読の声で、今も、その詩が聞こえて来る。朗読はその人そのものという事を、この詩を思い出す度に思う。あの時、一度だけラジオから流れてきたその朗読を聞き、その後は聞く機会もないままだったのに、わたしの一部になっているように、その朗読はそこにある。

父親の自宅介護をしている友人の姿と、その父親の姿の上に、もうすでに他界した父母の姿の上に、この病院に入院している寝たきりでいらっしゃる方々の上に、この地上で終末や、病に向き合っている方々の上に、この詩が重なって聞こえて来る。
そして、何もできずに、多くの方から祈られ、支えられている今のわたしの上にも。


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