たりたの日記
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2018年06月05日(火) 昨日の日記の続き

さて、昨日の日記の続きを。
当時、わたしは、30代から持ち続けてきた子宮筋腫が次第に大きくなってきていて、生理の時の出血も半端でなかったものだから、慢性的な貧血状態で、駅の階段の登り降りも休み休みという具合だった。

貧血が酷くなると奇食になるというが、わたしの場合は、納豆。それまで嫌いだったはずの納豆が突然好きになり、納豆ばかりを食べるようになり、冷蔵庫に大量の納豆のストックがないと不安になるほどだった。この先、納豆だけで、こんなに幸せな気持ちになるんなら健康で安上がりで、なんといいんだろうと思ったりしていた。

定期的な検査でだったか、近くの産婦人科に行くと、貧血が酷いと鉄剤を処方され、MRIを撮ることになった。これはただの子宮筋腫にしては形がおかしいから肉腫かもしれない。早急に手術をした方ががいいと医者。

早急と言われても、来月に歌の発表会があるので、終わってからにしますとわたし。

その若い女医さんはカチンときたのだろう。
いいですよ。どうせ肉腫なら6ヶ月の命なんですから、今の内に好きな事をやればいいでしょうと。
わたしも引き下がらず、それならそうすることにします。
と病院を後にしたのだった。
それまで、そのコンサートの本番を目標にトレーニングしてきたのだからここで止める訳にはいかない。

それでもって、昨日、記した An Evening Hymn (夕べの賛歌)の出番となるが、それからコンサートの日まで、毎日その歌を練習しながら、様々な思いが行き来した。
とりわけ、台所の窓の向こうに傾きかけた西日を見ながら、夕食の支度をしている時など、この歌への感謝と慰めが胸に込み上げてきて胸が一杯になっていた事を思い出す。

But where shall my soul repose?
だが、わたしの魂はどこに休ませたらよいのか?
Dear God, even in Thy arms.
愛する神よ、御身のみ腕こそ。
And can there be any so sweet security?
かくも甘美で安らかな場所が他にあろうか。

もしかすると後6ヶ月の命かも知れない。けれど、子ども達は2人とも高校3年と高校1年、もうわたしがいなくても、充分自分達の人生を切り開いていける年齢まで育った。
長男が10歳の時、交通事故に遭った時の名言ではないけれど、
“l had a good life!”と、いう心境でもあった。

後日談。
無事、コンサートを終え、すぐに評判の良い大宮市の産婦人科を受診した。初めての病院で、初めて顔を合わせる医師だったが、検査の後、次の生理が来る前に手術だ。貧血がこれ以上酷くなると、心臓にも負担がかかり、手術ができなくなるからね。スケジュール表を手に、この日に手術します!と有無も言わせぬ勢いで、数日後の手術日を言い渡された。

家族に相談するいとまもなかったなぁと、ぼんやり病院から駅までのバス停に向かって歩いていると、道路を横切る数人の人に混じって移動している作業着姿の夫の姿が見えた。
まさか、こんなところで、会うなんて!
普段はこの時間にここを歩く事なんてないのにと夫。
ともかく、最新のニュースをいち早く伝え、なんだかほっとして家まで戻ったことだった。

自信満々の元気な医師による手術は無事に終わり、その後の細胞検査の結果、肉腫でないことも明らかになり、その後、55歳で乳癌の手術を受けるまでの10年間は、子ども時代も含めて、一番体力に恵まれた時期だった。

スポーツジムに通い、夫共々ダンスに打ち興じ、百名山を制覇しようと野心を燃やし、毎晩欠かさず焼酎の晩酌をするという豪快さだった。老父母を見送り、乳癌の手術をした後は、再発する事を考えたら今しかない!とばかりに念願のバックパッカーとなってフランスの田舎へ巡礼の旅にも出た。

今はこのようにヘロヘロであっても、l had a good life!
ま、痛み止めが効いて熱がない、今だから、言えるのだけどね。
さて、午後からの熱に備えて、少しでも筋力を取り戻すために歩いてみよう。

それにしても、医療用麻薬、オキシコンチンの力はすごい。感謝!



たりたくみ |MAILHomePage

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