たりたの日記
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2018年05月08日(火) 母の闘病のこと

今日は有難いことに熱が出なかったので、午前中は、衣類の整理などもすることができた。でも、身体を動かすとすぐに息切れし、横になりたくなる。体力そのものが落ちているのがわかる。あるいは肝臓の機能低下に寄るものかも知れない。この状態が進んでいくのか、それともステントの調整をすることで、胆汁が流れるようになれば、もっと元気になれるのか、わたしは、また都内に出かけたり、大阪の次男を訪ねたりもできるような気がするのだがどうなのだろう。

晩年の母の事を思い出す。
母は70代に入った頃からC型肝炎による肝臓機能低下が次第に進んできて、物の片付けや歩いて買い物に行く事などが大変になり、スーパーへの買い出しにもタクシーを使い、いつもソファーに横になって過ごしていた。会う度に痩せていくのに、お腹だけは腹水のために大きくなり、ズボンのウェストが苦しいからと、自分で工夫してウェストをゆるめるようにしてズボンを履いていた。
一緒に温泉に行く時など、すっかり肉の落ちた腕や足を見て、医者から後10キロ痩せなさいと言われてた60代の頃の母の体型がこうも変わるものかと驚いたものだったが、ここ数ヶ月で、わたしの体型はあの時の母とそっくりにようになったなぁと感じる。

母は肝硬変から肝臓癌になる事をとても恐れていたが、静脈瘤の手術などは数回行うも、癌になることなく、80歳まで生きた。
2011年の春、震災の直後に医科大付属病院に入院し、その時は、震災の被害を心配する長男から頼まれ、2歳の孫とママをともない、春休みの期間2週間ほど実家に帰省し、そこから、病院に通った。しかし、退院後も、経過はよくなく5月に大分市の病院に再入院。その時にはかなり重い病状になっていたので、看取りの体制を敷き、その時は1ヶ月の予定で介護休暇をいただき帰省し、病院のそばのビジネスホテルに寝泊まりし、朝7時には母の病室に行くようにし、夜母が眠りにつくまで、そこにいた。母は少しの間もわたしがいなくなると不安がったが、この先、葬儀の事などが待っていると思うと、ここで、体力と気力を使い果たすわけにはいかないと、日中、2時間ほどはサウナに入ったり、お風呂に入ったりして、リラックスするようにしたが、あの時ほど緊張に晒された日々は他にはなかったなぁと思い返す。1ヶ月の介護休暇も切れるので、弟と交代して一旦職場に戻らなければという矢先、6月半ばに母は他界した。ちょうど、熊本から弟が来ていた時で、母はわたしたち2人に手を取られながら息を引き取った。
長く患っていた割にはほぼ1人で身の回りの事はでき、寝たきりの状態でベッドの中だけで過ごしたのは1ヶ月くらいのものだった。そしてわたしには始終痛みや苦しさを訴えてはいたが、最後まで言葉を交わす事ができ、医師や看護婦、見舞い客の前では、弱音を吐くこともなく、強い患者だった。
肝臓病の患者としては、自己ケアや、母の生命力が生かされた最期だったのように思う。

わたしも、そんな母の強い生命力を受け継いでいるのかもしれない。80歳とまではいかなくても、今のこの状態が少しでもよくなって、あるいは、このままの状態を保ち後2、3年は永らえる事ができるとよいなぁと思うが、すべては神の御手の中。
いちばんよい時を備えていただけるのだろう。


たりたくみ |MAILHomePage

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