たりたの日記
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2018年05月06日(日) |
「花子とアンへの道」を読む |
今日は連休最後の日だったが、朝から熱があり、一日、すっきりと熱が下がらないままだったので、一日ほぼベッドで過ごす。
朝から38度以上の熱が出るというのは今までのパターンにはなかったのだが、この日は解熱剤を使わないとどんな具合なのか試してみようと思ったのだ。やはり、薬で発熱をコントロールしているのだと思った。解熱剤を飲んでも午後から熱が出るというのも、ある程度コントロールが効き、発熱中の時間を短縮したり、高温にならないようにしているのかもしれない。 兎に角、医者から言われ通り、一日3回の解熱剤を飲み続けた方が生活の質は保てるようだ。
寝ながらではあったが、本を一冊読んだ。 「花子とアンへの道 〜本が好き、仕事が好き、ひとが好き」村岡恵理 編
「赤毛のアン」をはじめ、多くの英米文学を名翻訳で届けた村岡花子。その波乱に満ちた生涯を、秘蔵写真とともに紹介する。ヴィジュアルブック。と本の紹介文にある。
数年前の朝ドラで村岡花子が取り上げられた事は知っていたが、あの当時は朝ドラを観る習慣がなく、パスしていた。ところが、昨年からこの3月にかけてBSで放送された、「花子とアン」を連続して見て、彼女の事やその友人関係、彼女が働いていた出版社(今の教文館)や、日本で初めての家庭文庫の事など、詳しく知りたいことが沢山出てきた。 そこで、このドラマの原作「アンのゆりかご」と、このヴィジュアルブック「花子とアンへの道」を取り寄せたことだった。 ドラマの中では強調されていなかったが、村岡花子がクリスチャンの両親の元に生まれ、2歳で洗礼を受けていることや、キリスト教関係の出版社、教文館で編集の仕事をしていたこと、また花子の夫の一家は聖書を主に印刷する印刷会社であったことなど、興味深かった。
ここからは、わたしの「赤毛のアン」にまつわる思い出。 多くの少女がそうであるように、中学生の頃、「赤毛のアン」はまさにわたしの腹心の友だった。どれほど、彼女を取り巻く世界に入り込み、想像の翼を広げたか知れない。
高校生の時にいつもムカつく事をわたしに言う男子生徒がいて、「お前はかなり変わっちょるけど、お前にそっくりな人間が1人だけおるぞ」と言うので、それ誰?と聞くと「赤毛のアンじゃ」と彼は言い、その理由をいくつかあげられた。
その理由は覚えてないけれど、確かに、遊びに来た友達にチェリー酒ならぬ、母の作った梅酒をご馳走して、大変なことになった事はアンの事件とそっくりだったし、すぐにカッとなったり、ムキになったりするところや、わたしの空想癖や、突拍子もないことをしでかす事を親たちは心配していたような節もあった。その扱いにくさに至っては、アン以上だったことだろう。
赤毛のアンをまた読んでみようかな。アンの祖母の歳になった今、その本はどんな風に 響いてくるのだろうか。
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