たりたの日記
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新しい日が昇るのを窓から見た。 桜と菜の花と青空が広がる、美しい復活祭の朝だった。 これまでになく、体調がよく感じられるのは、40日間の受難の日々を終え、わたしの身体も復活の恵みをいただいているせい?
この日の聖書日課を読みながら復活主日の朝を過ごす。以前に書いた「復活の朝」という文章を探し、久々に読む。2001年の4月15日に記した日記だった。 あの時の願いに今が繋がる。 よい復活の日を迎えているのだと自覚する。
ミサの帰り、夫が、リクエストに応えて、Paulのクロワッサンサンドとイチジク入りの固いパンを買ってきてくれたので、一緒に遅いお昼。こんなに美味しいと思っていただく食事も久々の事だった。
次男夫婦とテレビ電話で話した後、午後の点滴の間、イグナチオ教会の深夜ミサのメッセージを聞く。 昨年の四月に訪れた、イエスの墓の後に立てられた聖墳墓教会、そして 復活のイエスが弟子たちを待っていたガリラヤ湖が目の前に広がった。
墓にイエスはおられない。 復活のイエスはガリラヤで弟子たちと出会う わたしたちのガリラヤとは、私たちが、日々過ごす、日常の生活空間。 わたしにとってのガリラヤは今はこの病室の一角。 かつて、雲を掴むように手応えのなかった復活の出来事が、今はわたしの今という時間の中に存在するということの幸い。
聖イグナチオ教会教会 復活祭徹夜ミサ のメッセージ 英神父
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復活の朝 (2001年4月15日の日記より)
十字架の上で処刑されたイエスの体は、数人の弟子たちによって、十字架から下ろされ、香料を入れられ、亜麻布でくるまれ、その近くにあった園の真新しい墓に葬られた。十字架の上での壮絶な闘いが終わり、イエスが去った。すべてが終わった。その時、それまでイエスと共に寝起きし、イエスをのみ頼りにしていた弟子たちの胸の内はどのようなものだっただろう。信じてきたものがガラガラと音を立てて崩れていったのだろうか。神の子としてではなく、ひとりの人としてイエスを愛してきた者はその人を失った激しい悲しみの中に、あるいは喪失感の中にあったのだろうか。しかし、聖書を読む限り、誰ひとりとして、イエスに再び会えるなど、思ってもみなかったことがうかがえる。ころが、3日目の朝、まだ暗い内に、イエスの墓に行ったマグラダのマリアは墓の石がとりのぞいてあるの見る。イエスの死体まで取り去られたことに彼女は取り乱したことだろう。私だったら叫ぶだろう。ののしるだろう。激しい喪失感の襲われることだろう。しかし、イエスはそこにいた。死んだものとしてではなく、蘇った存在として。はじめマリアはそれがイエスであることに気づかずに泣きながら訴えた。「もしあなたが、あの方を移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞおっしゃって下さい。わたしがその方を引き取ります。」その時、イエスはひとこと「マリヤよ」と言った。マリアはその声に胸を突かれてふり返り、「ラボニ(先生)」と叫ぶ。 子どもの頃から、イースターの話しは不思議な話しだった。イエスは死んだのに3日後に生き返ったというのだから。不思議ではあったけれど、ファンタジーの世界に日々生きている子どもの頃にはすてきな話しには違いなかった。思春期のころイースターの箇所で心にとまったのはこの「マリヤよ」と声をかけるイエスと、振り返って「ラボニ」と叫ぶという、この場面(ヨハネによる福音書20章)だった。聖書にはマリアが叫んだとは書いていない、しかしわたしにはマリアの叫びが聞こえたしその時のイエスの深い眼差しもマリアの絶望が歓喜へと変わる嵐のようなその時の想いが見えた。十字架のことも復活のことも聖書はどこも、かすみがかかったようにおぼろげにしか見えないが、ある時ある瞬間に、その場面が強烈な真実を伴って見え、刻印を押されたように心に焼き付くことがある。 ここしばらく、そのような聖書からの働きかけがないまま、文字だけを追ってきたような気がする。眠っていたのだ。今年はもっと生々しく魂が動くだろうか。 復活の日
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