たりたの日記
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2018年03月29日(木) 洗足木曜日の思い出

今日は「聖木曜日」聖なる三日間の初日。
「洗足木曜日」とも呼ばれる。

ニュージャージーに住んでいたころに通っていたグッド・シェパード・ルーテル教会での、洗足木曜日の礼拝を思い出す。

夜の礼拝堂、祭壇前には、様々な人種と思わしき人たちが12人集められていて、東洋人は私たちの家族だけだったからか、わたしもその12人の中にいた。

スペンサー牧師は聖書のイエスのように、腰に布を巻きつけ、たらいのようなものを抱え、一人一人の前にひざまづき、順番に足を洗っていった。あの聖書のイエスの行為をここで再現するのか!とようやく分かったが、
はじめは、そもそも何のために前に呼ばれたのか分からないままでいたから、洗足の儀式が始まった時には、それこそ、イエスの弟子のように恐れおのき、「もったいない!先生、わたしの足なんて洗わないでください」と心の中でつぶやいていた。

この教会のメンバーであった数年間は、わたし達家族は全くのマイノリティーで、コミュニケーション力に関しては明らかにハンディキャッパーであった。だから、それ故にメンバーの人たちの配慮や愛情や手助けがふんだんに我々に注がれ、それを身に染みて感じていた。
目が合った時の微笑みひとつで、帰り際の挨拶ひとつで、愛は十分に伝わってきた。あなた方を受け入れていますよ。歓迎していますよと、言葉を超えて届くものがあった。あのたくさんのメンバーの方々のお名前は忘れてしまっても、あの方々の微笑みを忘れることはできない。
♫「愛がまことであるところ、そこに神はおられる」

昨夜は高熱が出てまた寝苦しい夜を過ごしたが朝は下がっていた。お腹の具合もまずまずだが、今日のわたしのタスクは、遅い午後に内視鏡を口から挿入し、ステントを入れていただくこと。そのため、朝食、昼食抜きで24時間点滴につながれていた。

点滴に繋がれてながらではあったけど、瞑想カラーリングに没頭した。不安な内視鏡(以前、とても苦しくて、手術より大変だったと思ったので)を待つ間、平和に過ごすことができて感謝だった。
結局、普通の内視鏡ではうまくステントを入れられないことが分かり、来週、バルーン内視鏡で再挑戦ということ。これでだめな時は、脇腹から外に管を出すのだそうだ。これは何とか避けたいなぁ。退院も伸びるけど仕方ない、腹をくくろう。

さて、瞑想カラーリングのテーマは
♫ Ubi caritas est vera
(愛がまことであるところ、そこに神はおられる)
を口ずさみながら。

この歌は聖木曜日のミサの中で歌われる奉納時の交唱 の冒頭の部分。
イタリアの無名作者による、とても素朴なグレゴリオ聖歌。好きな歌だ。
youtubeで聴くことができることがありがたい。

Ubi caritas est vera

歌詞はこのとおり

愛がまことであるところ、そこに神はおられる

唱句:キリストの愛はわたしたちをひとつに結ばれた

唱句:キリストにおいて喜び歌おう

唱句:生きている神を畏れ、愛そう

唱句:そして真心こめて互いに愛し合おう。

愛がまことであるところ、そこに神はおられる

唱句:それゆえ私たちは、皆が一緒にひとつに結ばれた。

唱句:私たちが意識において離れ離れにならないように用心しよう。

唱句:そうすれば不毛な口論は止み、諍いはなくなる。



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