たりたの日記
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今日は教会暦では聖週間の始まり、受難の月曜日なので、こういうタイトルにしたわけで、わたしに受難が及んだというわけではない。 しかし、まあ、耐えるべき事はなかったとも言えない。
朝食は取らないという健康法をここでも続けているので、この朝も、人参・フルーツジュースのみだった。ところがMRIの撮影があり、それまでは食事を摂らないようにという指示で昼食はいただけないまま、なかなか検査に呼ばれず、ようやく検査が終了したのは午後5時で、ようやく午後6時に夕食。つまり昨夜6時の夕食時から24時間の断食となった。 まあ、これも受難週に相応しい事であるかもしれない。
こういう時、曼荼羅カラーリングは、とてもよい。今日の聖書日課の1、「イザヤの預言」の24章より、2節と3節をテーマに瞑想しながら。
彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。 傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく 裁きを導き出して、確かなものとする。
この部分は、子どもの頃の日曜学校の交読文の中にあり、礼拝の中で時々 声に出してみんなで読んだ。 子ども心に格調が高く、美しい言葉だなと、声に出して読む事に喜びを覚えていた。 あの頃、今よりもよほど、聖書の言葉をまるごと味わえていたのかもしれない。今だに子どもの頃の出会いに支えられているような気になる。そんなことにも頭を巡らしつつ。
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