たりたの日記
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2018年02月01日(木) ホリスティックということ

昨年3月末から10ヶ月間の抗がん剤治療から解放され、晴れ晴れとしている。
身体のレベルで言うならば、前のように、あれが食べたい、これが食べたい。これは美味しいという感覚が戻ってきたことと、何か薄い膜に絡まれていたような、身体全体を支配する不快感が溶けたこと。
心のレベルでは、人生を収束する方向よりは、まだまだ広がって行くようなイメージの方が強くなり、実際そのように動き始めていること。
例えば昨日のこと、この3月末でクローズする事にしていた英語教室を、水曜日のみ、小学生2クラスを続ける事に決め、保護者にメールした。

こうした変化は、単に抗がん剤を止めたからというのではなく、ようやく、私が理想としてきたホリスティックな視点での治療へのシフトが可能になったからだ。
抗がん剤治療には抵抗はありはしたものの、医師の勧める標準治療を始めから拒否するのも躊躇われた。いったい抗がん剤というものが身体にどう作用するのか、副作用と引き換えに癌の進行をドラマティックに押さえる事にができるのかどうか、まずは試してみなくてはと思った。
結果として、私の場合は、胆管癌に使われる二種類の抗がん剤はどちらも、副作用の割に癌の進行を抑える力を発揮しない事が明らかになった。相性がよくなかったのだ。それならば、兼ねてから私が信頼を寄せていた ホリスティック医学に心置きなくシフトできる。
そういう気持ちの整理のついた晴れ晴れしさ。

私なりにこれまで(癌を患う前から)行ってきたホリスティックなアプローチを挙げると、
ヨガ、瞑想、アロマセラピー、フラワーレメディ、鍼治療、食事療法、などがあるだろうか、今になって思えば、山歩きや巡礼も、リコーダーやグレゴリオ聖歌も、また、最近始めた曼荼羅カラーリングやゼンタングルといったアートセラピーもここに含まれるのだろう。
そして、ホリスティックな視点からすれば、私の身体の一部は病んでいるにしても、全体としては今までになく健康な状態を得ているという気すらする。

さて、ではここからは、自分のためにも、この日記を読んで下さっている方のためにも、ホリスティック医学についてのおさらいを。


ホリスティック(Holistic)という言葉は、ギリシャ語で「全体性」を意味する。
ホリスティックという言葉はもともと「ホーリズム(holism)的な」という形容詞として生まれたのだが、ホーリズムとは、「全体とは部分の総和以上のなにかである」という考え方で、臓器や細胞などといった部分に分けて研究し、それを総合したとしても、人間全体をとらえることはできない。 現実の基本的有機体である全体は、それを構成する部分の総和よりも存在価値があるという理論であり、同時に、一個体は孤立に存在するのではなく、それをとりまく環境すべてと繋がっていると考え方。

ではホリスティック医学とはどういうものなのかと言えば、
健康な状態、病気の状態に関係なく、人間の「からだ」というものは、常に全体的にとらえる必要があり、ここで言う人間の「からだ」とは、肉体・精神・心・霊魂の総体であり、すなわち人間そのものを指し、健康、あるいは健康破綻としての病気について考えるということは、人間について考えるということになる。
人間の生を「いのちの営み」として、ありのまま全体を見つめ、限界や欠如も含めて尊重する姿勢がホリスティックであり、ホリスティック医学をひと言でいうならば、人間をまるごと全体的にみる医学といえる。
これは、病気だけに限定されるものではなく、人生の生老病死にかかわる、あらゆる分野の「癒し」も関連している。したがって、ホリスティックヘルスとは、「病気でない状態が健康である」という否定的な定義や「検査結果が正常値の範囲以内であれば健康である」という消極的な定義ではなく、
精神・身体・環境がほどよく調和し、与えられている条件において最良 のクオリティ・オブ・ライフ(生の質)を得ている状態 』を健康と考える、より積極的な状態のこと。

ホリスティック医学協会では、ホリスティック医学を次の5つの視点で定義している。


<ホリスティック医学の定義>
1. ホリスティック(全的)な健康観に立脚する
2. 自然治癒力を癒しの原点におく
3. 患者が自ら癒し、治療者は援助する
4. 様々な治療法を選択・統合し、最も適切な治療を行う
5. 病の深い意味に気づき自己実現


以上、NPO法人日本ホリスティック医学協会のHPからの抜粋




写真は、お気に入りの 瞑想スポット


たりたくみ |MAILHomePage

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