たりたの日記
DiaryINDEXpastwill


2017年09月30日(土) グレゴリオ聖歌 特別講座 第1日目


この2年間、東久留米にある「聖グレゴリオの家」で、年間15回の「グレゴリオ聖歌入門講座1年コース」を2年間受講してきた。講座のある日曜日は、朝の聖歌隊の練習から参加させていただき、ミサ、そして午後3時からの講座と1日グレゴリオ聖歌に浸るという得難い時間を過ごさせていただいた。
しかし、しかし、2年間学んだとは言っても感覚としては、まだグレゴリオ聖歌の深い世界のほんの入り口のところにいるという感じで、知ればしるほど、深さがより深くなっていくようなのだ。

今年度は、「グレゴリオ聖歌-典礼のなかにみるグレゴリオ聖歌」という全8回の特別講座が開かれるというので、思い切って申し込んだ。今日がその初日で、最終日は6月23日。なんとか最後まで学び通せるようにという希望と願いを持って。

第1回の講座は、新しく増設された研究棟に20数名ほどの受講者が集まってきていた。講師は、こちらの宗教音楽研究所所長の橋本周子先生。
橋本先生のグレゴリオ聖歌に対する並々ならぬ愛情と、グレゴリオ聖歌の本質を何としても伝えていきたいという強い思いがその場の空気を集中した緊張感のあるものにしていて、2時間はあっという間だった。

世界的に、グレゴリオ聖歌がその本質から離れていく中で、ほんとうのグレゴリオ聖歌とは何なのか、どうそれに向かうのかという問いかけがなされる。
グレゴリオ聖歌は音楽ではない。尊い神の言葉を響かせること。誰にと言えばまずは自分自身に、自分自身に響いてきたら、それが相手にも聞く人にも世の中にも響いていく...
と橋本先生は講義の冒頭で語られた。
そしてネウマ譜をどう読み取り、どう言葉にし、音にするのかを、何度もダメ出しをしながら、丁寧に指導して下さる。これまでに学んできた合唱や声楽のレッスンとは全く違うグレゴリオ聖歌へのこの向かい方が私にとってはとても好ましく、ふつふつと心が熱くなってくるものがある。とても難しく、なかなか思うようには歌えないにしても。

それにしても、橋本先生とはほんとに不思議なご縁。講義の中でもしばしば名前が出てきた、橋本先生の師匠、ゴールデハルト・ヨッピヒ神父のこと。私はこの神父が指揮するミュンスターシュヴァルツァッハ修道院聖歌隊の歌うグレゴリオ聖歌集のCD をたまたま手にいれ、ここ30年間、ずっと聴き続けてきた。このCDは最も好きな音楽というよりは、私の中で響き続けてきた特別な歌だった。聞く度に、どの音楽にも観ることのできない私の好きな風景が浮かび、風が吹き渡るのだった。

遠い国の見知らぬ修道士達の歌であったが、実際にヨッピヒ神父から指導を受け、その意志を継ぎ、日本の地でほんとうのグレゴリオ聖歌を伝承していこうという橋本先生から、このようにして、このグレゴリオ聖歌の指導を受けているという今!
あのCDが、30年の月日が、ここへと私を導いてくれたのだ。そこへと路をつないでくれた神の配慮に感謝しつつ充足した時間だった。


たりたくみ |MAILHomePage

My追加