たりたの日記
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2017年09月22日(金) 12回目の治療日ー「方丈記」を読む

今日は12回目の抗ガン剤の点滴の日、朝から夕方まで病院の中で過ごす日。
今日の課題は、鴨長明の「方丈記」。何とも渋い。
今月の文学ゼミの読書課題になっているので、ここ1ヶ月ほど、原文、解説、現代語訳をちびちびと読んできた。今日で2回目を通読。あまり長い作品でもないので、本文はすぐに読み終えてしまうのだが、その解説が本文の5倍くらいはあり、元になっている書物の出展など、日本史や古文に弱い私にとっては、解説の解説が必要なくらい。ともあれ、高校生の時に暗記させられたために、今でも覚えている 冒頭の文故に、また、この文章が好きだと思ってきた故に、鴨長明さんに、長い時間を経て、再会したいという気持ちが湧いてきたのだった。

時を経て、その流れるような文章の美しさと、そこに流れている精神性は、高校生の時よりはるかに分かるし、共感できる。何しろ、作家が、今の私の年齢でこの文章を書いているのだから、当然といえば当然のこと。
方丈(四畳半くらい)の慎ましい住まいでの独居生活の様子が目の前に浮かび、彼が爪弾く琴や琵琶の音が、風や木々のざわめく音と共に聞こえてくるようだ。そして、同感、同感、と彼のこの世の見方に、60才の彼自身の心境に深く共感している。

この文章をよい朗読で聞いてみたいものだと探してみたが、彼の「心境」が伝わってくる朗読には出会えなかった。芝居がかったのもだめ。色艶がありすぎるのも、うますぎるのもだめ。若い声でタルそうに読んでるのも、ねらいは分かるけど、ちょっとね。
じゃ、朗読、やってみようか…などと思うのは、抗ガン剤と同時に使われる吐き気止めに含まれてる興奮剤のせいなんだろうな。明日くらいまでは、この効果が持続するから朗読するチャンスかも。

鴨長明 「方丈記」1

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。  たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかになひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。


たりたくみ |MAILHomePage

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