たりたの日記
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2017年06月22日(木) 入院2日目

流石に一晩の点滴の効果か、熱は朝には37度5分に下がっていた。それでも、点滴は絶え間なく続く。
昨日はろくに食事を摂っていなかったから、不味いはずの病院の食事も美味しくいただけ、完食。
頭痛と肩や背中の痛みはあるものの、本が読めるほどに回復しているのが分かる。
「奇跡のコース」はこの日、Lesson58〜Lesson60まで一気に進む。
Lesson50〜Lesson60まではそれまでのレッスンの復習を5つずつするようにプログラムされている。確かに一度頭に入れただけでは、自分のものにはならない。そもそもこのレッスンそのものが、同じような内容を別の言葉、別の角度から学び、そのスパイラルをすこしづつ上昇していくようなキメの細かさで構成されている。こうして、家事や仕事から解放されて、この学びだけに集中できるというのは得難い機会。熱も下がり、苦しさもないとするなら。

気の毒な夫は、私の送った必要なものメモの品物を探すのに、かなり大変な思いをした様子。申し訳ないが、有難いことだと思う。これが私一人で入院しなくてはならないのであれば、どんなに不自由で心細いことだろうと、しばしば一人で入院した母の事が繰り返し思いだされる。遠く離れていたとはいえ、母にはほんとに申し訳なかった。
「奇跡のコース」では過去の事で自分を責めたり、後ろめたく思うなというレッスンがあった。あの時はごめんなさいと母に向かって言い、その事を赦してもらおう。そして赦されたと信じよう。わたしもそうして、そういう自分を赦していけると。
これほど、神の赦しについて、イエスの贖罪について話しを聞き、聖書を繰り返し読んできたが、「赦す」ということにはまだわたしが分かり切れていない途方もないことが隠されていることが分かり始めているが、実際、「赦す」という行為がどういうことか、私は分かってはいないのだと感じている。





たりたくみ |MAILHomePage

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