たりたの日記
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2017年05月19日(金) 6回目治療日 「イェシュアの手紙」を読む


先日、気功の治療 (キアティク療法)を紹介してくれたYさんと、治療の後、お茶をしながらいろいろ話しをした際に、何冊かの本を紹介していただき、興味深く思ったので、早速アマゾンに注文した。その中の一冊、マーク・ハマー著 /マラディアナ万美子訳「イェシュアの手紙」を昨夜から今日にかけて読み終えた。
今日は6回目の治療日だったので、5時間あまり、集中し、時に考えたり、瞑想したりしながら読むことができた。

さて、でもこの本の事をどう伝えよう。いえ、伝えようとはするまい。もし、気になる方がいれば、手に入れて読むだろうし、気にならなければその人にとっては意味のないものに違いない。

では、私にとって、この本はどう響いたのか。どういう意味を持ったか。

ワシントン州に住む マーク・ハマーという男性が 1987年から1988年までの間、イエス キリストとして知られる「イェシュア」の言葉をチャネリングし、それを彼自身の動揺や、そこから逃れたい、無視したいという葛藤や彼自身の霊的成長といった体験と共に一冊の本にまとめたもの。

イエス自身がハマー氏に語った言葉は 深く、美しく詩的で、それだからこそ、聖書の言葉と同様にそれを理解する為の特別な視点や感性が要求されると感じた。それをどこまで理解できるかは、その人の霊的な成長の度合いによるのかも知れない。

私がこのタイミングでこの本に出会ったことも意味があると感じた。この本の日本語訳が出版された2007年には、私はこの本が理解できたとは思えない。怪しい本として、遠ざけてしまったかも知れない。
しかし、今、ここに書かれていることの多くは、初めて耳にすることではなく、すでに私自身の魂が感じとっていたことだと頷きながら読んだ。深い共感と 慰めと 励ましとがあった。

2014年から2015年にかけて東洋の瞑想と共にヨガについての集中して学ぶ時期があったが、その中で、キリスト教の神とイエスと人間の関係がよりはっきり分かるように感じ、ヨガ指導者資格のための卒論にもそのことを書いた。ヨガで言われている宇宙の創造主、ブラフマンはまた、一人一人の人間に存在する真我でもある。ヨガ は、創造主である神と、我とを繋ぎ、神と一つになるための修行だとする。
それから考えると、旧約聖書に記されている 「在って在る者 」、父なる神は、ひとり子イエスと一つの存在であるのだから、自分の魂の中で、イエスと一つになる事で神と一つになり、その一つになった魂の状態、それこそが御国ではないのだろうかと思った。思っただけではなく、ヨガや瞑想を通して得られる満ち足りた平和の感覚は神と共に在る、つまりは御国の中に導かれている状態だと実感していた。

今日、この本を読む中で、かつて私が受け止めたことを、イェシュアがマークに語っていた。もちろん、長年、東洋思想やヨガの修行に深く関わってきた マークも、このことは心の底では分かっていたに違いない。
一方、私がこれまでに考えていなかったこと、自分の霊的力では理解できないことがらもあった。それに関しては、今、それについて熟考する時を、理解が可能になる時を与えられようとしているのかも知れない。

きっかけになる 聖書の言葉やキーワードも出てきた。今回のイスラエルの旅の中で、エッセネ派が共同体を作っていた クムラン教団の遺跡や、マグラダの遺跡後を踏んだ時の親しく懐かしい感覚も思い出した。
その辺りのこともよくよく思い巡らしでみよう。

この本に出会う事ができたことを感謝している。

治療の前の血液検査の結果は、白血球の数値が下がっている。
腫瘍マーカーはほぼ横這いとはいえ、やや下がっている。
行きは夫の車で。帰りは病院を4時頃出て、歩きで駅へ。デパ地下で大阪へのお土産を選び、最寄り駅から徒歩で帰って夕食の支度ができるほどの体力あり。


たりたくみ |MAILHomePage

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