たりたの日記
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2017年05月11日(木) 友人たちと

友人2人とお昼を共にしながら5時間ばかりの時間をいっしょに過ごした。
一人の友人とは1年半ぶり。話に花が咲いての賑やかなランチというのではなかったが、大切な事をたくさん、たくさん話した、あるいは分かち合ったという印象があった。それだけに、また5時間という長さのせいもあるが、疲れを覚えたが、それは二人も同じだっただろう。

最後に三人で会ったのは共通の友人、文庫仲間の葬儀の後だった。
あの時私達のリーダーでもあり、たくさん学び、影響も受け、励まされたきた友人を失ったショックは大きかった。まだまだ文庫の子ども達のためにも、地域の方々のためにも良い働きをするだろう彼女がこんなに早く召される事に納得がいかない気持ちも抱いていた。けれど、葬儀の後、昔の仲間達とお茶会をした時には大きくなった子ども達の事や孫の事など、久々に合う友人達との情報交換で場は賑やかでもあった。

けれども今、あれから1年半の間に、あの時には考えてもみなかった悲しみを二人とも抱えることになっていた。夫との死別、そして我が子との。
二人の胸の内を聞きながら、そして二人が深く共感し合うのを感じながら、同じ痛みや寂しさを持つ人にしか分かりあえないものがあるのだなぁと思った。そんな二人の悲しみに接しながら、私は私でそれほど遠くない未来に、夫や子ども達にそんな悲しみを与える事になるのかもしれない、それは辛いな、何とかそうならないようにできないだろうかなどとも考えていた。

最後まで冗談を言って家族を笑わせた友人の夫も、また、突然の死に見舞われ、家族と離別することになってしまった娘さんも、きっと自分がいなくなった事を悲しまないでほしいと思っているに違いないのだ。しかし、寂しい。あちらへ行く者より、残された者のほうがずっと悲しいに違いない。私にしても、私が先だと思うからのん気な気でいられることだけど、夫や子ども達に先立たれるのはどんなに辛いことだろう。

私は慰める言葉もなかったが、こんな事を言った。人間の死は自分では選べず、人の手には及ばないものだけれど、誕生もまた、人間の力には寄らないものだし、偶然この世に命が誕生するわけじゃない。創造主がきちんと意図を持って、この世に命を送り出し、そしてその命はこの世での課題を終えて、またきちんとした意図のもとで、来たところに戻っていくのだと。これは単に彼女達への慰めとして言ったのではなかった。私自身が自分の生と死をどう捉えているかということだった。

こんな会話をこれまでに友人達とすることはなかったことを思う。地面の上の事つまり、家族の事や旅や映画や本の事はたくさん分かち合ってきたけれど、死や命の事を話題にすることはなかった。
三人が三人とも、死を味わい、死の意味することを知りたいと心から思っているから、こんな話もできたのだろう。


若い頃に出会い、共にお互いの歩みを、それぞれの子ども達の成長を知り、そうして今、その家族との別れの悲しみを分かち合える友人を与えられていることに深く感謝。







たりたくみ |MAILHomePage

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